日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

岩仲寺のちかくに祀られる2基の庚申塔 大分県豊後高田市黒土

大分県 豊後高田市の黒土(くろつち)という地区に、岩仲寺があります。お寺の南東部に、複数の石塔とともに、庚申塔が2基まつられています。

場所:大分県豊後高田市黒土

座標値:33.595970,131.556519

 

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向かって右側の庚申塔からご紹介します。

一面六臂の青面金剛が主尊です。青面金剛の足元を写した写真を、コントラスト強め白黒に変換して下に示します。二鶏、三猿、四夜叉が刻まれているようにみえます。

庚申塔にむかって右側面をみると、建立年が刻まれているようです。ほとんどの文字がみえませんが、かろうじて「正」「未」「天」という文字がみえます。江戸期の元号で頭に「正」の文字、そして干支に「未」がある年は正徳五年です。この年は西暦1715年で、干支は乙未(きのとひつじ)です。

 

参照:https://www.inoh-ken.org/nengo/nengo-yedo.html

 

向かって左側面には「九月吉日建立」とあります。

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2基の庚申塔にむかって左側の庚申塔です。

こちらも一面六臂の青面金剛です。左手のひとつにショケラをにぎっています。青面金剛の両脇には二童子がひかえます。青面金剛は「伏せ」の姿勢をしている邪鬼を踏んでいます。邪鬼のさらに下側には二猿、さらに猿にはさまれる形で二鶏が向かい合っているようですが、像容がはっきりしません。

小林幸弘氏のホームページを拝読すると、以下のようにご紹介されています。

 

邪鬼を踏みつけ厳しい表情を見せる青面金剛は一面六臂でその一手にはショケラを持つ。台座の下に隠れるように二猿と1鶏の姿がある。

 

参照:http://5884koshinto.my.coocan.jp/12matama/12025.html

 

こちらの庚申塔には、建立年などの銘は刻まれていませんでした。

 

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岩仲寺前の路地。この路をはさんで岩仲寺の向かい側に庚申塔が祀られている。
昔からある路地か。

 

古い墓地の南側に祀られる庚申塔 大分県豊後高田市黒土

豊後高田市黒土という地区にまつられる庚申塔をご紹介します。黒土のなかでも中黒土という地区の山林のなかにまつられています。山林のなかに墓地があり、墓地のやや南側に庚申塔があります。ふきんに「おべん柿」という柿の案内板があり、案内板のある場所にはちょっとした駐車スペースがあります。ここに車を停めさせていただき、徒歩で庚申塔のある場所まで移動しました。

「おべん柿」案内板の場所

座標値:33.587402,131.553042

Google map

 

 

駐車スペースから北西へ歩いていくと、墓地へと続く山道がみえます。雑草が繁茂しています。

山道をすすんでいくと、すぐに右側に、たくさんの古墓が見えてきます。

こちらの墓地には庚申塔はなく、庚申塔の場所へ行くには、さらに数10m山道を南西へと進む必要があります。

倒れている竹をくぐりながら進むと、山道進行方向にむかって左側に階段があります。階段を登ると庚申塔が左側にみえます。

場所:大分県豊後高田市黒土

座標値:33.587391,131.552445

風化がだいぶ進み、像容ははっきりとしませんが、胸の前で手をあわせている青面金剛像がきざまれているのがわかります。また二本の手に弓と矢をもっています。1面4臂(いちめんよんぴ)の青面金剛像だということがわかります。

 

折れた庚申塔の下半分のほうをみると、青面金剛の足が確認できることから、青面金剛は立位をとっていることがわかります。

 

さらに青面金剛の足の下側には、なにか刻まれているようですが、もう何が刻まれているのかはわかりません。

小林幸弘氏のホームページを参照させていただくと、2猿、2鶏、2童子が刻まれているようです。

 

参照:http://5884koshinto.my.coocan.jp/12matama/12039.html

 

庚申塔にむかって右側面を確認してみると、かすかに、なにか文字がみえるようですが、それも判読することはできません。

庚申塔にむかって左側面にも、なにか文字が刻まれていますが、判読できません。かろうじて「吉」という文字だけ確認できます。

▼折れた下半分の左側面。こちらにもなにかの文字が確認できます。

▼庚申塔のそばには「氏子中」「施主 吉□□□□」という文字が刻まれた石塔が倒れています。

墓地の入口にまつられる六地蔵

古墓のひとつ。元禄拾五念(1702年)の銘が確認できる。

県道548号線沿いにまつられる庚申塔 大分県豊後高田市長岩屋

2024年5月9日、小林幸弘氏からいただいた地図データをもとに、国東半島の庚申塔を探訪してみました。今回の国東半島訪問でみつけることができた庚申塔は、7基でした。順番にご紹介してゆきます。

 

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小林幸弘氏が運営するホームページ

国東半島の庚申塔

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1基目は、天念寺(てんねんじ)のちかくにまつられている庚申塔をご紹介します。

 

大分県道548号線沿いに庚申塔が1基まつられています。庚申塔が祀られている場所が、山のカゲになっているのと、ヤブのなかに隠れるように祀られていたため、車のなかから探しているときには見つけることができませんでした。徒歩でじっくりと探していると、ヤブのなかに庚申塔と数基の石塔を見つけることができました。

場所:大分県豊後高田市長岩屋

座標値:33.578640,131.545273

 

1面4臂(いちめんよんぴ)の青面金剛(しょうめんこんごう)が主尊です。青面金剛の両脇には二童子、足元には邪鬼が伏せています。

 

さらに下側にも何かが刻まれていますが、像容ははっきりとわかりません。おそらく猿と鶏が刻まれていると予想されます。

庚申塔の両側には「二」「天」「十月十日」の文字が確認できます。しかしはっきりとした建立年がわかりません。小林幸宏氏のホームページ「国東半島の庚申塔」を拝読すると、「壬辰天 十月十日」の文字が刻まれていることが示されています。

 

参照:http://5884koshinto.my.coocan.jp/11takada/11102.html

 

壬辰(みずのえたつ)が干支であるのは正徳二年。西暦1712年です。