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日々の”楽しい”をみつけるブログ

写真と登山好きのku-(くー)といいます。日々の生活に楽しみをみつけて、紡いでいこうとするブログです。

中央で曲がってなくなった橋 旧芦屋橋 福岡県遠賀郡

福岡県遠賀郡

福岡県遠賀郡芦屋町にこんな史跡があります。これは、福岡県を流れる遠賀川の河口近くに残されている、古い橋の欄干です。

橋そのものは残されていません。昔、芦屋町には真ん中でぽっきりと折れてしまった橋があるとの情報を得て、その痕跡を探していたのですが、見つけることができました。

昔、ここには芦屋橋というコンクリート製の橋が架かっていました。

 

現在の地形図を見てみると…

こんな感じで、遠賀川芦屋橋が架かっています。地形図に載っている芦屋橋は新しい橋。欄干だけが残っている昔の橋は、今では旧芦屋橋と言われています。旧芦屋橋はこんな感じで、大正6年4月10日に架けられました。

 

↓この写真は芦屋町が制作した百周年記念誌、「温故知新」という本に載っている写真です。大正6年5月13日に、大々的に開通式が行われたそうです。

この橋は、福岡県から借金をして建設されました。その借金を返す必要があったので、橋ができた当初は、橋の通行料金がとられていたそうです。

だけど芦屋町は、その借金を県に返すことができませんでした。そのため芦屋橋は、ついには県有のものとなりました。県有になった時点で通行料はとられなくなったそうです。

この橋には、ちょっとおもしろいエピソードがあって、地盤沈下によって中央部分で曲がってしまい、使えなくなったそうです。だから今の新しい芦屋橋が造られることになりました。真ん中近くで折れ曲がり、ついに中央がなくなってしまった旧芦屋橋は、「折れ橋」という名前で親しまれていたそうです。

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氷点下11℃ はじめての福智山登山 福岡県北九州市

福岡県北九州市

昨日、はじめて北九州市にある福智山に登ってみました。

 

強い寒波がきてるということで、山頂付近は雪が積もるかもしれないな…とは思っていました。けっこう積もってました。

アイゼンを持っていっていなかったので、下山はさんざんでしたよ。凍りついた斜面を何度も転びながら、やっと下りたという感じ。怪我をしなくてよかったけど、やっぱり冬に山登りをするときには、荷物になってもいいからアイゼンは持っていったほうがよかったな。

登り始めたのは、5時40分頃。まだ真っ暗。初めて登る山だから、やっぱり不安。こんなとき、現在地とこれから登るルートが確認できる地図アプリは心強い。

 

とはいえ、初めてで真っ暗なのでやっぱり、登山口をみつけるのに苦労しました。↓神社横を通って、白糸の滝横を通るルートを予定してたけど、そのルートを見逃してしまいました。結局、皿山という集落にある登山口に一度もどってから、登り始めることになりました。

ひとまず、登山道案内の看板がみえてひと安心。

登山道は踏み固められてるので、真っ暗でもルートを外れることはありませんでした。わかりやすい登山道でよかったです。

ときどき木立の切れ目から直方の夜景がみえました。真っ暗な山の中で、人のいるっていう灯りがみえると、ほっとしますね。

 

登山道はひたすらシンプルに登り登り登り。尾根づたいに登っていきます。

山頂手前には、840mほどのふたつのピークがあります。ここまでくると、やっと登ってきたという感じ。安心します。もうここでは2㎝くらい雪が積もっていました。北側からの風が強くて、登りで脱いでいた上着をもういちどしっかり着ました。

7時頃。夜が明けてきて、見通しがよくなってきました。直方の街を振り返ります。この景色をみると、登ってきた甲斐があったなと思います。これはコンデジの写真。

一眼レフではやく撮りたいな、と気持ちが焦ります。頂上についてから一眼レフをザックから取り出す予定でした。

小ピークから、福智山山頂がみえてきました。樹木はなくて、なんとも清々しい気持ちになるいい景色。西側には直方市、北東側には小倉がが見通せます。

山頂付近はたくさんのルートが入り乱れています。その中心近くに、木製の祠がありました↓

↓山頂がみえてきました。

↓雪にうもれて、三角点も確認。

山頂に設置されていた温度計をみてびっくり。氷点下11℃。

写真では伝わりませんが、この↓小倉方向から吹いてくる極寒の強風が冷たくて痛い。山頂についたので、ザックから一眼レフを取り出しました。

 

だけど、あまりの寒さで液晶画面の調子が悪くて、動きが鈍くなっていました。以前、大分県久住山に、登ったときも、こんな現象が起きたなと思い出します。

↓こちらは南側の香春(かわら)町方向。雪が降っているのが確認できました。

↓山頂の祠。

不動明王さまも寒そう。

↓山頂から西側をみやると直方の街と、おそらく…鷹取山がみえました。時間がじゅうぶんにできたら、福智山から鷹取山や、北側にある雲取山などへの縦走をしてみたいな。

あまりにも寒かったので、すぐに下山にとりかかりました。もと来たルートをそのまま戻ります。アイゼンを持っていなかったので、実はこれからが大変でした。

 

↓背が低い笹の向こうに小倉の街。

雪で覆われた美しい山道。

ちょっとの時間だけど朝日が差し、ほんのりと紅色になる雲など。

福智山山頂手前の小ピークをすぎて、本格的な下りになります。どんなにスティックを駆使しても、樹の枝を使っても、しゃがみながら下りても、アイゼンなしではツルツル。なんどもなんども転びながらの下山。

 

ザックにいれたカメラや携帯が壊れやしないか冷や冷やでした。でもなんとか無事に下山。

 

大変だったけど、やっぱり登山は楽しい。気持ちがスカっとします。

強い寒気 強風 でも夕暮れどきの海岸が美しい

福岡県宗像市

寒気が流れ込んできてて、おまけに強い風。福岡県宗像市の海岸にでると、強風で肌が痛いくらい。でもおかげで夕暮れどきには、こんなにドラマチックな景色をみることができました。

 

道の駅むなかたの付近で。

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郷土史料を読んでフィールドワークすると日常が潤う

福岡県遠賀郡

福岡県を、筑豊地区から北方向に流れる遠賀川(おんががわ)。この遠賀川流域にはむかしの遺跡がいくつか発見されています。

 

そのうちのひとつ、立屋敷遺跡。立屋敷遺跡からは弥生時代の土器とか包丁とかが発掘されてます。この遺跡は、遠賀郡水巻町付近にあります。めじるしは↓下の写真にある、大きな二本のイチョウの樹。

立屋敷遺跡の場所:福岡県遠賀郡水巻町立屋敷

現在地から立屋敷遺跡:Google マップ

 

立屋敷というところに遺跡が発見されたとは聞いていたけど、水巻昔ばなし(柴田貞志 著)を読んでいると、この遺跡についてより詳しい説明が載っていたので、おもしろく読ませてもらいました。

 

この本によると、二本のイチョウの樹がある場所は、砂岩層でできているそうで、縄文時代には小島になっていたことがわかるという。

今の姿になるまでの経過はこんな感じだそうです↓

 

遠賀川はむかし、今よりももっと川幅が広く、玄界灘の海水が入り込んでいたそうです。これを入り海というそう。この入り海に、ちょっと小高い場所があって、小島になっていました。ここが今でいうと、二本のイチョウがある場所。

そして弥生時代遠賀川河口の形が変わり、縄文時代よりも河口の幅が狭くなると、海水は入りこまなくなってきたそうです。同時に、遠賀川上流から流れてくる土が、砂岩を覆っていきました。ただ、ちょっと小高い場所までは覆い隠せなくて、今でいう二本のイチョウのある場所は、そのまま砂岩層のままとなりました。

弥生時代には、砂岩層の上にたまった土の層で、稲作が行なわれるようになったそうです。立屋敷付近で、そんな弥生時代の生活の跡が出土しました。

その遺跡は、残念ながら今では遠賀川の水の底。

でも出土した道具から、昔のことが想像できます。貝塚とか鹿の骨などもみつかったので、稲作が行なわれると同時に、川で魚介類を採り、近くの山では猟も行われていたんでしょうね。

おもしろいですね。まあ、なんともない景色ですが、郷土史料を読むと新しい発見があります。史料を読んで、読んだ場所に実際行ってみることは楽しくて、なにげない生活に潤いをあたえてくれます。

宗像市上八の庚申塔(こうしんとう)

福岡県宗像市 福岡県の庚申塔

正月に宗像神社に初詣に行った際、みつけた庚申塔(こうしんとう)。県道502号線から、上八という地区の細い道に入ったとき、ふと道路脇をみると、この庚申さまをみつけることができました。

 

 

宗像市上八庚申塔の場所:福岡県宗像市八浜の上808

現在地から宗像市上八庚申塔Google マップ

小さなお堂と、10体のお地蔵さま・観音さまが祀られている敷地内に、この庚申さまも祀られていました。

造られた年月日は刻まれておらず、シンプルに庚申という文字のみが刻まれていました。

 

それにしても、宗像大社の初詣では、あまりにもたくさんの人が参拝に来られてて、びっくり。おそらく、宗像大社太宰府天満宮での、正月三が日の参拝は今後はしないだろうな。

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北九州市若松区の庚申塔 二島の日吉神社

福岡県北九州市 福岡県の庚申塔

福岡県北九州市若松区に、日吉神社があります。ここに猿田彦大神庚申塔(こうしんとう)が集められまとめて祀られていました。探せば、福岡県にも庚申塔は各地に残っているものですね。

 

日吉神社には両児嶌大明神が祀られていますが、この大明神は洞海湾が埋め立てる前にあった二つの無人島に祀られていた神さまです。二つの無人島が撤去されるときに、日吉神社へ神さまは移されました。

 

両児嶌大明神が祀られている脇に、庚申塔は祀られていました。↓こんな感じで石塔群があります。

5つの石塔のうち、ふたつに猿田彦大神庚申塔が見つかりました。

左側から順に写真に写してみました。

 

塩土老翁神シオツチオジノカミと読み、日本書紀とか古事記にでてくる神さまだそうです。ぼくにとっては、はじめて知る神さまです。航海の道しるべをしてくれる神さまなんだそうですよ。洞海湾を航行する舟の安全を願って、昔、祀られた神さまなんでしょうか。

↓真ん中の石塔には刻印がされてませんでした。なんの役割をもつ石塔なんでしょうか。

式日燈…これもはじめて見る石塔…というか、灯篭です。式日を辞書で引いてみると”儀式のある日”、”特定の行事や用事を行うことに定めてある日”とあります。神社で儀式があるような特別な日に、この灯篭に火がともされたのかもしれません。

やっぱり福岡県でも、庚申の日には夜を通して酒宴が開かれ、寝ずに夜を明かしたのでしょうか。

 

ooitasyuyu.hatenablog.com

 

ふたごの島があった 地名の由来 北九州市の二島

福岡県北九州市

北九州市の若松に二島(ふたじま)という名前の地区があります。岩尾山に隣接する内陸の町なのに、どうして島の名前?意外にも、ほんとにここのあたりに島があったんだそうです。

北九州市にある洞海湾(どうかいわん)。昭和30に、洞海湾の北側は埋め立てられました。埋め立てられる前には、ふたつ小さな島があったそうです。こんな感じ↓

埋立地の北側にある点線は、埋め立て前の海岸線。

 

ふたつの島は、それぞれ本島と沖島で、ふたつあわせて二子島と呼ばれてました。今ではとはなんの関係もなさそうな町…二島ですが、その名前のもとは、ほんとにふたつ島があった事実からなんですね。

ちなみに、このふたつの島には、両児嶌大明神が祀られていました。洞海湾の埋め立てに伴って、大明神は近所の日吉神社に移動して祀られるようになったそうです。

元西日本株式会社が、二子島のあった辺りの土地を、昭和10年頃に買い取りました。そして、昭和14年に大明神が日吉神社に移されました。昭和32年に、ついに二子島は取り除かれました。

 

 

こちらが、両児嶌大明神の祠です。日吉神社に入って正面左側の境内に祀られてました。
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境内の案内看板によると、祠は以前 木製だったそうですが、石造りに作り直されたようですよ。

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