日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

小倉の商店街にあるけっこうボリューミーな”揚子江の豚まん”

小倉の飲食店を紹介している雑誌に、”揚子江の豚まん”なるものが紹介されていたので、ここに行ってみることにしました。なんともおいしそうな豚まんが掲載されてて、小倉駅から比較的近い商店街のなかにあるとのこと。

 

小倉の商店街は黒崎とか直方とか、地方都市の商店街にありがちなシャッター街とはなっていなくて、わんさと人が行き来する活気のある商店街。いろんな店がひしめき合ってるので、歩いて見ていくだけでも楽しい。

 

揚子江の豚まん:福岡県北九州市小倉北区京町2丁目7

”揚子江の豚まん”は小さな小さな店で、そこで豚まんや、あんまんや餃子が作られて売られているのではないらしい。見たところ、販売だけをやっている店のようです。

 

豚まんはアツアツのものだったけど、あんまんは冷えたものを売ってて、家に帰ってからレンジで温めなおすもののよう。今回は初めて買うこともあり、アツアツの豚まんを選びました。

 

豚まん1個200円。手のひらと同じくらいの大きさのボリューミーな豚まん。

パカッと開けるときに気を付けないと、肉汁がジュワっとでてきます。少し大きめに刻まれた玉ねぎと、豚肉が顔を出してきます。

このジュワっと出てくる汁が脂でこってり。若いひとは1個ペロッと食べられるのでしょうが、ぼくは半分くらいで、「もうじゅうぶん」という感じでした。

今度食べるときは、あんまんを試してみたい。

 

巨大な樹に囲まれた遠賀郡にある神社 高倉神社で神の樹を撮ってきた

こんな立派な樹が境内にある神社。ここは福岡県遠賀郡岡垣町の高倉という地区にある高倉神社(たかくらじんじゃ)。日本書紀に出てくる神功皇后(じんぐうこうごう)にゆかりのある神社ということを知って、足を運んでみました。

神功皇后の日本書紀でのエピソードは、昔の表現で書かれていることもあり、ぼくにとっては難しく理解ができません。ただ、仲哀天皇が筑紫におもむいているとき、この高倉神社のある場所で、男女の二人の神さまに引き留められた…ということらしい。

本殿はちょっと小高い丘の上にあって、本殿に向かって左側には稲荷神社が祀られる。

樹齢1000年近くはあるのだろうか。立派なイチョウやクスノキ?が空いっぱいに枝を広げている。

高倉神社は海岸線からは3.2㎞ほど内陸にあって、周囲は田園に囲まれています。だけどかつては、高倉神社のある場所まで海が入りこんでいたといわれてます。

高倉神社の場所:福岡県遠賀郡岡垣町高倉1113

現在地から高倉神社:Google マップ

100円で買える安心 ダイソーのコンセントカバー

いつ漏電するかハラハラなこの状態。コンセントのすぐそばにカーテンがヒラヒラしています。子どもがいると、コンセントの穴に、先の細いものをつっこもうとしたりして、これまた冷や冷やすることがあります。

 

コンセント部分を覆えるものはないか考えてみた結果、庶民の味方である100円ショップでコンセントカバーっぽいものがあるんじゃないかと思いつき、探してみました。

ありましたありました。ダイソーで、こんなコンセントカバーを見つけました。

カバーの裏っかわに2か所、両面テープをひっつけ、コンセント部分に装着するだけ。なんて簡単なんでしょうか。

↓パカッとふたを開けて、コンセントを差すだけ。

カバーの下部分に穴が開いてるので、ここからコンセントのコードを通します。

単純だけど、こんなに便利なものが100円ショップで買えるなんて。

直方市で出会った伝統のお菓子

成金饅頭は投機に失敗したある青年が生み出したとされている。明治時代のこと、日露戦争で物資の値が高騰することを見込んだ青年はうずら豆を大量に買い込んだ。

 

しかしその直後に日露戦争は終結。相場は暴落し、青年は貨車数台分のうずら豆を抱えることとなった。

 

途方に暮れた青年が大量の豆を処分ためにうずら豆から白餡を作り饅頭を製造したところ、好評な売れ行きを博したのが成金饅頭の始まりであるとされている。当時の筑豊では重労働で疲労した炭鉱労働者たちに甘い菓子類が大変好まれていた。(Wikipedia 成金饅頭)

 

 

福岡県直方市内を歩いていたとき、車に乗った ご高齢の男性に「成金饅頭(なりきんまんじゅう)の売っている店は知らないかね?」と道をたずねられた。直方市に来たのは、そのときがはじめてだったので、残念ながら知らない旨を伝えた。

 

その男性は、また別に人に「成金饅頭の売っている店は知らないかね?」と聞いてまわっていた。その姿をみて、「そこまでして探し求める成金饅頭って、どんなものなんだろう」と興味をもった。

 

後日、地元のひとに成金饅頭のことを教えてもらい、売っている店に行ってみた。↓こちらが、成金饅頭の売っている店があるふるまち通り商店街だ。

そしてこちら↓が成金饅頭の売っている和菓子屋さん…大石本家

場所:福岡県直方市古町17−8

現在地から大石本家Google マップ

今回、購入したのは成金饅頭(小)2個入り。税込みで¥324。地元のひとの話によると、ふつうのどら焼きということを聞いていた。見た目はその通りだと思った。

だけど、どら焼きとちょっと違うのが、皮の厚さと、中にはいっている餡(あん)の食感だ。皮は薄皮でモチモチ。どら焼きのふっくらというイメージとは違う。

 

餡のほうは白あんで造られてて、大きなうずら豆がゴロゴロと入っている。

現在では直径9cmほどの小ぶりなものも売られているが、20cmから30cm程ある大きなサイズのものも存在する。大きいサイズの方が元々の形で、特に「丸くおさめる」という縁起物とされている。(Wikipedia 成金饅頭)

 店頭には大きな、直径30㎝ほどの成金饅頭も売られていたが、ちょっと高めだったので、いちばん小さなものを今回は選んだ。縁起物といことで結婚式の引き出物なんかでも使われるそうだ。

 

直方市は地方の小さな町という印象。商店街はシャッターが閉まっているところが多く、人通りもまばら。寂しい感じはあるけど、こういう町を歩いていると、思いがけず史跡に出会えるかもしれないし、昔ながらの古い建物が残っていたりするので、けっこう楽しい。

秋でも神秘的で美しかった由布川渓谷

妻の友人の結婚式が大分県であったので、妻の”足”として久しぶりに大分県に行くことになりました。福岡県に移り住んで、たった一か月半ぶりの大分県訪問ではあるものの、懐かしい景色が見えてくると感慨深いものがあります。

結婚式が開かれている間、ぼくはなにもすることがないので、どこに行こうか迷っていました。一番行きたかったのは、国東半島ではあったけど、大分市内での結婚式だったので、国東半島を周るのには時間が足りなさすぎました。

 

そこで久しぶりに由布川渓谷へ行くことにしました。今の寒い時期だと人が少なくてゆっくりと写真が撮れるだろうなとの期待も込めて車を走らせました。

由布川渓谷の「猿渡入り口」に一度はいってみたものの、おそらくこの間の熊本地震で地盤がゆるんでいるせいか、渓谷へおりてゆく階段が通行止めになっていました。

 

そこでもうひとつの入り口である「椿入り口」へ行くことにしました。

 

現在地から「椿入り口」:Google マップ

 

椿入り口のほうは、ふつうに渓谷の底まで下りてゆくことができてホッとひと安心。下まで降りてみて驚いたのは、記憶にある渓谷の景色とはちょっと違っていたこと。流れている水の量が少し多めのように感じました。正面にみえる滝は、こんなに迫力があったっけという感じの立派な滝になっていました。

由布川渓谷といえば、この滑らかな曲線を描く岩肌が見どころだと強く思います。いやー美しい。

2016年11月9日での、由布川渓谷の紅葉はあまり見られませんでした。猿飛入り口付近では、ほんのわずかながらに、モミジが色づいているのを発見しました。平地では鮮やかな紅葉はまだ見られないようですね。

 

まとめ

由布川渓谷は春から夏にかけて、葉の緑が濃くなる季節にいくのがいいと思います。でも渓谷自体の神秘的な美しさは季節によって差はあまりないように思えます。湯布院観光に行ったときは、ぜひ訪れて写真におさめておきたい場所です。

 

国東半島でのなつかしい思い出 夷谷に庚申塔を探しに行った話

大分県の豊後高田市から福岡県に移り住んでから1か月半が経ちました。福岡県は福岡県でいい場所はたくさんあるのですが、自然の豊かさと濃い仏教文化といったら国東半島には敵わないなぁとつくづく感じます。

 

そんなことを考えていると、大分県に住んでいた日々を思い出し、懐かしいような寂しいような気持ちがふつふつと湧いてきました。

 

昔の写真を見直していると、まだブログにアップしていない写真があったので、ここでアップしてみたいと思います。福岡県に移る前に、最後の記念にと国東半島の庚申塔探しをしていたときの写真です。

国東半島のやや北西に位置する、豊後高田市香々地町の夷谷(えびすだに)。東夷・塔ノ本という地区にある庚申塔(こうしんとう)です。いままで探したなかで一番みつけるのに苦労した庚申塔でした。

 

苦労したというのは、庚申塔は目の前にあるのに、崖の下にあって、そこまでの道のりがわからなかったのです。地図でいうとこのあたり↓。焼尾公園という場所近くが目的地。県道653号線沿いに、庚申塔はあるのですぐに辿り着くと思っていました。だけど県道から庚申塔のある場所までは急な崖になってて、直で降りることはできませんでした。

場所:大分県豊後高田市夷

現在地から塔ノ本の庚申塔Google マップ

 

庚申塔のある県道653号線には、こんな古びたお堂が建っています↓。

このお堂がある場所からは、崖が行く手を阻んでいて、庚申塔まではいけません。お堂とはまったく逆側の農道に車を停めて、徒歩で庚申塔のところまで行くのがいちばんいいようです。

上の地図のようなルートで行った実際の写真が↓こちら。

橋をわたってすぐ右側方向へ、庚申塔のある林へ続く農道が伸びていました。

 

意外にも、この林のなかには庚申塔以外にも国東塔(くにさきとう)とか、五輪塔などの石造物が祀られていました。

↑この国東塔は「焼尾塔ノ本国東塔(やきおとうのもとくにさきとう)」と、そのまんまその地の名前がつけられたもので、誰のために造られたものなのかなど、詳しいことはわかりませんでした。

国東塔や庚申塔が祀られている場所は小高くて「下坊中」という集落や田畑が見通せる場所です。この集落の人たちが、村を守ってもらうための願いをこめて、これら石造物をつくったのかな…という想像がなんとなくできます。

国東塔を通り過ぎてさらに斜面を登っていくと目的の庚申塔が見えてきます。

 

↓なんとも珍しく、神道系の猿田彦大神と仏教系の青面金剛像がいっしょに祀られています。神仏習合発祥の地といわれる国東半島のおおらかな風土が垣間みれます。

↓青面金剛像のデータこのような感じです。

・総高が152㎝

・一面六臂(顔がひとつで腕が6本)

・背面に輪光を背負っている

・手は合掌が一組

・他の手は、三叉戟(さんさげき)・棒・蛇・羂索(けんさく)を持つ

・足元に猿が二匹うずくまっている

・足元に鶏が二羽向かい合って並ぶ

 右手にもつ三叉戟…つまり三又のホコにはヘビがからまっていて、グロテスクな感じがします。こういう石造物は福岡県にはなかなか見つけられないので、なんとも貴重です。

 

これら二基の庚申塔のさらに斜面をあがったところには、もうひとつ青面金剛像が刻まれた庚申塔があります。だからこの地には三基の庚申塔があることになります。

↓こちらはだいぶ表面が摩耗していて像がはっきりとしません。

 

総高が約140㎝と前述した庚申塔よりもやや小さめです。こちらの足元には三匹の猿が刻まれています。

 

 まとめ

大分県…特に国東半島には古くからの文化、それに関連する祭りや建造物、石造物などが形を残しています。国東半島を離れて、改めて国東半島の不思議な魅力が貴重なんだと認識しています。