日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

福岡県福津市 大石の庚申塔(こうしんとう)

福岡県福津市にある大石という地区に庚申塔を探しに行ってみました。

ここは、新原・奴山古墳群がちかくにあって、のどかな田園風景が広がっています。大石はこんな感じの山裾にある小さな集落ですね。

大石の奥まったところに、お宮があります。googleマップで調べると「宗像四国西部霊場本尊大日如来大石第四十二番」と表示されます。このお宮の境内と参道入口に庚申塔があるらしいのです。

 

お宮近くには、車が数台停められるような広場があります。ここに駐車させてもらいました。まずは参道入口の庚申塔を目指します。

 

福津市大石の参道入口の庚申塔:福岡県福津市大石253

現在地から福津市大石の参道入口の庚申塔Google マップ

 

参道入口は↓こんな感じ。小川に架かる橋で、お宮方面に分岐となっています。

↓階段手前で三つの石がたっています。階段にいちばん近い、高い石塔が庚申塔です。

↓庚申尊天と刻まれる文字塔です。近所の方に話を聞くと、今ではこの庚申塔を持ち回りで祀るメンバーである庚申講はもうなくなったとのこと。庚申塔を定期的に祀って、寄り合いを開くような行事もなくなったそうです。

五来重氏が著した「石の宗教 (講談社学術文庫)」では、日本庶民の庚申講は中国から伝来した三尸虫信仰とは、ちがう形で作られてきた説が紹介されています。簡単にまとめると、作物の豊作祈願とか、ご先祖様の供養を目的として庚申塔が立てられたようです。

 

「石の宗教」では、庚申講はこんな感じで紹介されています↓。福岡県でよくみかける「猿田彦神」の文字塔についても書かれていてわかりやすかったです。

 

日本では六十日ごとの庚申の日に当番の宿に講中があつまって夜明しをするのが庚申待である

 

庶民の庚申講には、神なり仏なりが存在して、これをまつり、供養することによって禍を去り豊作を得ようとした

 

猿田彦神は「大田神」ともよばれて、「田の神」すなわち豊作の神とされることである。庶民のあいだの庚申講は、後世になるほど豊作祈願になった。そのために「田の神」と同格の猿田彦神を庚申講の本尊として拝んだのであって、三尸虫説とはまったく異質的な庚申信仰であった。そして「田の神」というものは決して外来の神ではなくて、農耕を生活の手段とする日本固有の神である。

 

民衆は、庚申は豊作の神と信じていた。その豊作も庚申講で供養する先祖のおかげとしていたもので、庚申講には念仏がつきものであった。したがって庚申塔には「申待供養」とか「庚申供養」という供養の文字を入れることが多い。

 

大石集落の庚申塔に話をもどします。↓庚申塔の下のほうに、おそらく庚申講メンバーの名前が刻まれています。

↓年はわからないけど、十月吉日の日付が確認できました。

お宮へ上がっていきます。

お宮にはいって左側に、もうひとつ庚申塔が祀られていました↓。

こちらも庚申尊天と刻まれています。どうも「宝暦四戌年」と日付が刻まれているようです。知識がなくて、「四戌年」というのはどういう意味なのかわかりませんでした。

↓庚申尊天の左側には十二月吉日の文字。

↓大きな庚申塔の右となりに、もうひとつ小さな庚申塔でしょうか。塔右側に三徳?という文字かな。中央の庚申の文字の上に梵字が刻まれているのでしょうか。形からすると、釈迦如来地蔵菩薩梵字のように見えます。うーん、知識が浅くてわからないことだらけです。

 

このお宮とはまた別のところに、いくつか庚申塔があるそうなので、そちらのほうにも確認のために行ってみることにしました。

歩いて1分ほどの距離。↓民家の軒先に庚申塔が祀られていました。

福津市大石 民家の庚申塔:福岡県福津市大石253

現在地から福津市大石 民家の庚申塔Google マップ

さすがに、勝手に敷地内に入っていくのは気持ちがはばかられたので、遠いところから一枚。ひとつの集落のなかだけでも、たくさんの庚申塔が祀られていました。福津市にはほんとにたくさんのコウシンさまが祀られているんですね。

神は本社の社殿の中に常在するのではなくて、祭のときだけ、人間の請に応じて石や木に降臨影向する。石はその神の座であるので、「磐座」と呼ばれるのである。

 

自然石を石神としてまつるのは、自然の木の枝をヒモロギとしてまつるのとおなじく、もっとも原始的なまつり方である。(石の宗教) 

 

神社という特別な場所だけではなくて、自然のあらゆるものに神がやどっているという、日本に古くからある独特の信仰を知っていくはおもしろいですね。

北九州市小倉南区の庚申塔

こんな街中に庚申塔(こうしんとう)らしきものがあるなんて。予想外でした。福岡県内を見て回ってみると、意外と庚申塔が道ばたに祀られていることがわかってきました。

 

ここは北九州市小倉南区の葛原という場所。このあたりにある、おいしいと評判の「いちかわ製パン店」へ行く途中で、たまたま見つけることができました。

小倉南区葛原の庚申塔:福岡県北九州市小倉南区葛原本町6丁目

現在地から小倉南区葛原の庚申塔Google マップ

 

 

↓〇〇〇大神と表面には刻まれているようですが、風化しててよくわかりません。

 

↓少しアンダーで写真を加工して、表面の凹凸をきわだたせても、刻まれている文字は判別できませんでした。

おそらく、猿田彦大神と刻まれているんじゃないかと、予想はできます。

 

後ろにまで回り込んでみておらず、成立年月等も不明です。

牛肉がとろけるカレーパンがおいしかった 小倉南区のパン屋さん グラティエ

これまで食べたカレーパンのなかでトップに入るんじゃないかとおもいます。北九州市小倉南区にあるグラティエというパン屋さんのカレーパンです。

どこかおいしいパン屋さんはないかなと、小倉の街のなかを巡っていたとき見つけました。訪れたのは、日曜日の昼1時くらい。お客さんはいっぱい。どんどん駐車場に車が入ってきていました。駐車場は広いので、車を停める場所には困りません。よかった。

 

たまたま買った、カレーパンなんですが、これがむちゃくちゃおいしかったんです。揚げたて和牛カレーパン。

外カリカリ。でも、写真にも写っていますが、側面の白い部分はマシュマロのようにふわふわ。

そして中の具といったら!牛肉のとろけ加減がすごい。「ああ、辛い」というほどの辛さじゃない、程よい辛さのカレー。カリカリのパン生地。なんて絶妙なおいしさなんでしょうか。

 

他にも、こんなパンを買いましたよ。↓ロングソーセージのハーフサイズ。

↓これはなんて名前だったか、忘れてしまいました。これはコーンフレークのようなパリパリの生地がパン表面にくっついてて、中には中華風の具がはいってました。

豚まんのような感じですが、外生地はパリパリ。そしてパン生地。新食感です。このパンも好きでした。

 

グラティエの場所:福岡県北九州市小倉南区下石田2丁目12−12

現在地からグラティエ:Google マップ

 

ホームページによると、いくつか店舗があるそうなので、メモ代わりにちょっと場所をアップしておきます。

 

大畠店

福岡県北九州市小倉北区大畠3-2-56

 

博多駅南店

福岡県福岡市博多区博多駅南4-1-31

 

桧原店

福岡県福岡市南区桧原2-42-20

 

黒崎店

福岡県北九州市八幡西区東曲里2-17

ダイキホームセンター駐車場内

 

黒崎コムシティ店

福岡県北九州市八幡西区黒崎3-15-3 コムシティ低層棟3階

2017年3月5日 豊前の河津桜が満開 静豊園(せいほうえん)

うわー!と思わず感動の声がでました。福岡県豊前市にある静豊園(せいほうえん)で、河津桜が満開でした。静豊園は果物の栽培と販売をしている農園で、みかんの栽培から始まり、今では桜の樹など花木の栽培も手掛けるようになったんだそうです。

静豊園の場所:福岡県豊前市松江990-1

現在地から静豊園:Google マップ

 

この場所の存在を知ったのは、妻が静豊園の映像をテレビで観たから。ちょっと行ってみようということになりました。開園時間は朝9時から夕方4時までと、ちょっと早めの閉園です。注意しないといけないですね。

静豊園には10時前の到着で、比較的人は少なかったんですが、10時半ごろからどんどんお客さんが来られてました。

 

広い駐車場はみるみると埋まっていってたので、10時前から訪ねるのがおススメですね。

 

小高い山の上にあるので、静豊園の駐車場からは豊前の街が一望できます。ちなみに駐車場は無料です。

駐車場に向かう途中にも、道の両脇に河津桜が迎えてくれます。さらに園内に向かう途中にも…。

やっぱり桜の花はきらびやかですね。温かい陽の光が似合います。

園内はとても広くて、ぐるっと一周まわるのに10分くらいかかりました。そんな園内にも桜・桜・桜です。

直売所ではみかんなどの果物と、鹿肉のはいったカレー。まんじゅう、団子、ドーナツなどが売られてました。↓みたらし団子と石焼き芋を購入。

この石焼き芋がほくほく、甘かったんです。

駐車料金無料、入園料無料…となんて良心的なんでしょう。いい時間を過ごさせていただきました。

福岡県の河津桜 飯塚市 大谷神社ふきん

ほんの少しだけ桜が咲いていました。福岡県飯塚市にある大谷神社の付近です。もちろんソメイヨシノではなくて、早咲きの河津桜のようですね。

宮若市飯塚市の県境あたりで、国道30号線を走っていると2本だけ見つけることができます。

 

桜の早咲き場所:福岡県飯塚市庄司976

現在地から飯塚 桜の早咲き場所:Google マップ

 

↓こちらは近くに咲いている梅。梅はしっとり艶やかという感じで咲いていて、こちらも美しいですね。この梅も桜なんじゃないかと間違えていましたが、調べてみると、梅の花びらは先が丸くなってて、桜の花びらは先がふたつに割れているんだそうですよ。

庚申塔(こうしんとう)についてのメモ 七庚申ってなに?

石の宗教 (講談社学術文庫)を読んでて、庚申塔の起源が書かれていました。これまで読んだどんな本よりも詳しく書かれてて、おもしろいなと刺激をうけています。 

「三尸虫(さんしちゅう)が人の体のなかにいて、それが庚申の夜に天に昇り、天帝に宿主の行ないを報告する」という内容の伝承とは別に、庚申塔の起源が考察されているのは、はじめて知る内容でおもしろい。

 

この話は、また別の機会にまとめてみたいと思います。今回は「七庚申」についてのメモです。

 

庚申(こうしん)というのは、甲乙丙…でしられる十干(じっかん)と、子丑寅卯…でしられる十二支(じゅうにし)の組み合わせのひとつ。ぼくはいまいち理解できていませんが、↓下の表の十干と十二支の組み合わせは60通りあるそうです。これを日付に当てはめると、60日に1回、十干の庚(こう)と、十二支の申(さる)が組み合わされます。

ウィキペディアでは、干支(かんし)の組み合わせが、ひとつひとつ掲載されているのでわかりやすいですね。

57番目に庚申がありますね。

 

1年間では、だいたい6回、この庚申の日が周期的にまわってきます。ただ、だいたい10数年に一度、1年間に7回庚申の日がまわってくる年があります。このような年を七庚申と呼ぶそうです。

 

七庚申の年は特別な年で、以下のようなイベントが開かれるんだそうです。

 

七庚申の年には庚申塔をつくり、墓地や庚申堂や庚申塔の傍に立てて供養する

 

七庚申の年は庚申の御縁年といって、庚申講は七回目を盛大に祝って、庚申塔を立て、もし講にめでたいことでもあって、衆議一決すれば石屋さんにたのんで石塔の庚申塔を建てる

 

石の宗教五来 重著 (講談社学術文庫

 

 

 

年に7回、庚申となった年がほんとにあるのか気になったので調べてみました。手当たりしだいに調べるのも大変なので、1700年代、1800年代を集中して調べてみることにしました。なぜかというと、この時代に庚申塔が造られていることが多いからです。

 

調べるときは「和暦年別表」というサイトが便利で、西暦を入力すると、それぞれの年の干支を一覧表でだしてくれます。一覧表から庚申の文字を検索したら、一年間の庚申の回数がわかります。

 

その結果、以下のようになりました。

 

1700年代は、1708年、1718年、1732年、1743年、1754年、1764年、1775年、1786年、1797年が七庚申の年でした。

 

1800年代は、1800年、1811年、1822年、1832年、1843年、1854年、1865年、1879年が七庚申の年でした。

 

だいたい、10年か11年周期で七庚申がまわってくる印象です。七庚申のときは庚申塔が建てられる機会が多くなるそうです。だから今後、庚申塔めぐりをするとき、作られた年が七庚申なのか気にしてみようと思います。 

福岡県福津市 渡(わたり) 地蔵堂となりの庚申塔

福岡県福津市にはたくさんの庚申塔があります。福津市のひとつの地区、渡(わたり)。この地区にある地蔵堂の脇にも庚申塔が祀られていました。

 

県道502号線から脇にそれて、梅津という集落を車で走ってゆきます。車一台がやっと通れるくらいの狭いみち。

↓地蔵堂が左手にみえてきました。このあたりに庚申塔があるんだけど。地蔵堂の建てられている敷地内に入っていかないといけないかな…と思っていました。

↓すると車に乗ったままでも見える場所、道路脇に庚申塔が祀られてました。

庚申塔中央部に「庚申碑」と刻まれています。また享保13年…つまり西暦1728年の造立年と9月吉日の日付も刻まれる。庚申塔の上部には梵字らしきもの、そして、下部には、おそらく庚申講メンバーの名前が刻まれているようです。

庚申講メンバーの名前が刻まれる庚申塔をみたのはこれが初めてでした。

福津市渡の庚申塔:福岡県福津市渡109

現在地から福津市渡の庚申塔Google マップ