日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

ナマズの狛犬がある神社で庚申塔さがし 福岡県福津市 大森宮

福岡県福津市庚申塔を探していると、なんて珍しい。ナマズ狛犬がある神社がありました。

どうしてナマズ狛犬なのか?気になったので調べてみました。このサイトがわかりやすく解説してくれていたので、ポイントをピックアップ↓。

大森宮の場所: 福岡県福津市上西郷

現在地から大森宮:Google Maps

 

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福岡県宗像(むなかた)の西側を、昔は西郷(さいごう)と呼んでいました。今の地名でいうと、福津あたりです。その西郷という地方を治めていたのが河津興光(かわづおきみつ)という戦国武将です。

興光(おきみつ)が、ある戦でケガをして池のほとりで死にそうになっていたとき、ナマズが現れて、仲間のところへ興光を運んでいってくれたそうです。興光はこのナマズを、西郷の氏神である大森宮の化身だと信じ、大森宮にナマズが祀られるようになったんだそうです。

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 そんな大森宮に庚申塔があるということなので、探してみました。(参照:津屋崎郷土史会のホームページ

 

大森宮には2つの庚申塔があって、拝殿に向かってすぐ左側と、ナマズ狛犬のすぐそばにありました。

↓こちらは拝殿に向かって左側にある庚申塔

庚申講のメンバーは9人だったようですね。あと、「庚申幸神」と刻まれてますが、ふつう「庚申塔」とか「庚申」とかしか刻まれていないのに、幸神という文字が刻まれるのは珍しいですね。調べてみると、幸神は「こうしん」と呼ぶそうで、庚申(こうしん)という音と、かけあわされて庚申幸神と刻まれたんでしょう。

↓もうひとつの庚申塔は拝殿に向かって左側、狛犬のすぐ後ろ側に祀られていました。

↓これはけっこう大きな庚申塔でした。たぶん高さは150㎝くらいはあるんじゃないかな。猿田彦命と刻まれていました。

↓後ろは、この石が加工された跡が、らせん状に刻まれていました。これまた珍しい模様です。

他に全国には、なまず神社はどこにあるのか調べてみました。「なまず神社 全国」でググってみると…

佐賀県嬉野市

京都府京都市

宮城県加美郡

群馬県邑楽郡

三重県伊賀市

などがひっかかりました。全国にあるようですが、沖縄とか北海道、四国にはないようですね。

福津市のようにナマズが神の化身とされている伝説とは別に、ナマズは地中にいて暴れることで地震を起こすという伝説があるようですね。

 

地震を起こさせないように、神社に要石(かなめいし)という石を置き、ナマズの力を押さえこむという云われがあるそうです。(参照:鯰(なまず)と地震と要石(かなめいし) | 神使像めぐり*余話

 

地震が多い地方で、地震をできるだけ起こさないでほしいという願いから、ナマズが祀られているのでしょうか。地域によって云われも様々ですね。

むかしは離れ小島 大きな洞窟をもっている洞山へ行ってみた 遠賀郡芦屋町

福岡県遠賀郡の海岸に、大きな洞窟をもった岩山があります。洞山(どうやま)という場所で、名前は前から知ってはいたけど、実際にいったことがなかったので、時間のあるときに散歩がてら行ってみることにしました。

 

前情報として…

1.大きな洞窟がある

2.その洞窟は神功皇后が放った矢が岩山を貫き、広がったもの

3.徒歩でしかいけない

4.釣りをするいい場所

…というものをもっていました。

 

google mapで見ると↓こんな感じ。

ふたつポッコリ岩でできた小山が海に浮かびます。手前の比較的大きな方が堂山、奥の小さな方が洞山と書くそうです。ふたつ合わせて洞山と呼びます。今は陸地とつながって歩いて渡れますが、以前は離れ小島だったんだそうですよ。

 

なんだか、小さな離島だったり、こういう島っぽいところの航空写真を眺めていると、好奇心をくすぐられます。実際いくとどんな場所なんだろう。

 

↓こちらは小さな山のほうの洞山。その名前の通りにぽっかりと立派な洞窟が彫られています。

↓洞山へは、堂山手前の駐車場に車を停めて、歩いていくことができました。

↓駐車場から、漁港の横を進みます。

↓公衆トイレがある広場に出ます。ここからは、防波堤を乗り越え、磯へ降ります。

高さ10m、幅12m、奥行30mの洞穴。

 

周辺は、千畳敷と呼ばれる平らな岩盤で、いい景色です(参照:洞山 - 芦屋町

場所:福岡県遠賀郡芦屋町山鹿

現在地から洞山:Google マップ

 

この洞山はどうやってできたのか?ネットで調べてみたけど、ピンポイントの情報はなさそうでした。海蝕洞なのかな?人の手で掘られてものなのかな?

 

どうも、この芦屋のあたりは芦屋層群と呼ばれる地層で作られてるそうで、たくさんの化石が発見されてるそうですね。

 

この岩の層は、今から3千万年前の古い地層で、斬新世古第3紀末の代表的なものです。ここは化石の宝庫となっており、二枚貝、巻貝、カニ、ワニ、サメ等浅い海に住む生き物や大型の飛べない鳥、プロトプテルム(ペンギンモドキ)の化石も見つかっています。(参照:北九州ぐるりん観光ナビ【芦屋層群】

 

たしかに、芦屋や若松のあたりは内陸に少し入った場所でも、岩山を掘っていくと、貝の化石が高頻度で見つかります。小さいころによく化石探しをやっていました。化石探しって、夢中になると丸一日でもがんばれてました。

 

芦屋では「夏井ヶ浜はまゆう公園」という場所で化石探しができるそうですね。子どもと一緒に行ってみよう。(参照:化石発掘は福岡でもできる!芦屋層群で子供と無料で楽しんできました。

美しい福岡県の板碑(いたび) 宗像市 鎮国寺(ちんこくじ)

福岡県で板碑(いたび)をみたのは、これがはじめてです。この板碑は福岡県宗像市にある鎮国寺(ちんこくじ)の境内に祀られています。

宗像市が発行している「宗像遺産-文化遺産編-」をみていて、この板碑が紹介されていました。このような本に乗せられている写真を撮っているのは、さすがプロですね。その写真の美しさに、ぜひこれは見てみたいと思って、鎮国寺へ足を運んだわけです。

 

本に掲載されている写真は、照明を使ったのか、自然光で撮ったのかはわからないけど、しっかりと陰影が写されてて、板碑の凹凸がはっきりとわかります。なんて美しいんでしょう。

 

実は、鎮国寺にこの板碑を探しに行ったのは、二回。一回目はどこにあるのか探せなかったんです。家族を待たせていたので、あんまり鎮国寺境内をうろうろしているのも悪いと思ったので、その日はあきらめました。

 

二回目の2017年3月20日は、じっくり探せるよう時間を十分にとりました。どこにあったかというと↓、航空写真でいうとこのあたり。鎮国寺本堂の南西にあたる丘の上でした。

鎮国寺の板碑:福岡県宗像市吉田984

現在地から鎮国寺の板碑:Google Maps

 

境内にある「一休庵」というお土産屋さんの裏っかわに、山道がのびています。この山道には四国八十八箇所めぐりに倣って八十八体の石仏が祀られています。石仏の台座に、個人名や住所が刻まれているところをみると、石仏一体一体は個人が奉納したものだと思われます。

そんな石仏の78~80番札所がかたまる場所に、目指す板碑が祀られます

板碑には阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)が刻まれ、如来さまの親指と人差し指は輪っかをつくるように結ばれています。

この結びかたは上品中生来迎印(じょうぼんちゅうじょうらいごういん)というそうです。この印は、阿弥陀経(あみだきょう)を持たないで、お経を読むことができなくても、正しい道理に沿って生きたひとは誰でも浄土に導かれることを示す印なんだそうです。

阿弥陀如来の下には、元永二年(1119年)に、この板碑が造られたことが刻まれています。造ったひとは沙弥妙法(しゃみみょうほう)という人物。

 

この妙法というかたは、以下のものも造ったという記録が、この板碑に記されています。

 

・十二万本の卒塔婆(そとば)

・金銅の阿弥陀

・仏菩薩の画像、天蓋(てんがい)・幡(ばん)・華鬘(けまん)などの装飾

・極楽を飾る宝樹・迦稜頻伽(かりょうびんが)

・弥勒仏頭など

 

大分県では、古いお寺をめぐっていると板碑が祀られているのをよく見かけたのですが、福岡県ではこのような板碑はあまりみかけません。庚申塔(こうしんとう)のように、古い時代に造られていたものなんでしょうね。

 

板碑をネットで調べてみると、

板碑(いたび)は、主に供養塔として使われる石碑の一種である。

板碑は中世仏教で使われた供養塔である。板碑 - Wikipedia

 

…とあり、今でいうお墓にある卒塔婆(そとば)のようなものと解釈しました。昔は石で作られていた板碑が簡略化されて、木でつくられるようになったんでしょうか。

不動明王様にまつわる石仏がたくさんある中山不動尊に行ってみた 福岡県鞍手郡

福岡県鞍手郡にある中山不動尊にいってみました。ここに「身代わり不動尊」と呼ばれる木製の不動明王様が祀られていて、これが国指定の重要文化財なんだそうです。参照

中山不動尊 - 鞍手町歴史民俗博物館

 

 

 結論からいうと、目当ての「身代わり不動尊」はお堂の中に祀られていて、見ることはできませんでした。だけど、境内にはたくさんの不動明王様の石仏と、不動明王様の手足となる童子(どうじ)の石仏があって、これを拝観することができました。

 

その石仏の写真をざざっとアップしてみたいと思います。

 

まず↓こちらが参道入口の右側に祀られている不動明王様。

大正15年12月吉日の文字が足もとに刻まれています。

がっちりはっきりと浮き彫りされていて、爽快感が感じられますね。立派な不動明王様です。

参道の階段をのぼっていきます。

境内にはいって、すぐ左側に十三仏と子安観音がずらっと横2列になって祀られています。

なかでも不動明王像は何体かあって、さすが中山不動尊という名前の神社だけあります。細かく顔のしわまで刻まれている精巧な不動明王様もあれば、ざっくりとした形を彫りだした素朴な不動明王様も、なかにはあります。いろんな石工さんが彫ったものをこちらにひとつにまとめたように思います。

本堂へすすみますが、お堂はしまっていて、中の様子は暗くてあまりよくわかりませんでした。

 

本尊である「身代わり不動尊」が祀られているはずですが…鞍手町歴史民俗博物館のサイトで画像はみることができます。

 

平安時代後期の作と思われる本尊は、虫による被害や傷などで形が崩れており、歴史の流れを感じさせますが、力強い怒りの顔つきに堂々とした迫力があります。 中山不動尊 - 鞍手町歴史民俗博物館

 

本尊はあきらめるとして、本堂の裏っかわにも回ってみることにしました。

 

そしたら、まだまだ石仏がたくさん祀られているではありませんか。これらの石仏は、不動明王様の手足となって実務をこなしてゆく童子(どうじ)です。

↑上の不思議童子や、↓下の小光明童子 (しょうこうみょうどうじ)など、36もの童子がおられます。

どうしてかはわからないけど、こういう石仏に心ひかれるものがあって、庚申塔や石仏を探す目的で神社・仏閣を周っている日々を送っています。心惹かれる「何か」が、ぼんやりとでもいいから、いつかわかるといいなと思っています。

宗像大社でもっとも神聖な場所 高宮祭場

福岡県宗像市にある宗像大社。なにげなしに、初詣などで訪れることがあるのですが、改めて調べてみると、かなりすごい神社なんですね。この宗像大社の名がつけられている神社って、日本全国にあるなんてはじめて知りました。

 

日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社である。宗像大社 - Wikipedia

 

宗像大社は、沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社の総称なんだそうですが、沖ノ島から出土した指輪や焼き物など8万点の品は国宝に指定されています。

 

そんな宗像大社で、もっとも神聖な場所のひとつである高宮祭場に行ってみました。

高宮祭場は宗像大社の本殿から南に10分弱歩くと着きます。

第二宮(ていにぐう)と第三宮(ていさんぐう)のそばを通り抜けて、木漏れ日が気持ちいい鎮守の杜を歩いていきます。

 途中、橋を渡り…

長い階段を登りきると…

ちょっとした広場に、大きな樹が二本。この樹にかぎらず、宗像大社境内には他にも立派な樹々が育っています。

これは樫の樹かな。3月中旬にもなると、陽の当たる場所は温かくなってきましたが、この杜の中はまだひんやりとしていました。

 

↓こちらが宗像大神が降臨したとされる高宮祭場です。

神々が降りてくる山や杜を神奈備(かんなび)というそうです。宗像大社に社殿がたてられたのは奈良時代から。それ以前は、こういう山の一角を神奈備という神聖な場所としてあがめました。

これら立派な樹木を神様が降りてくるための目印としていたのですね。

つい二か月くらい前に、宗像大社に初詣に来たのですが、そのときはたくさんの人に圧倒されて、本殿にお参りもせず帰りました。ましてや、ここ高宮祭場の存在も知りませんでした。

 

道の駅「むなかた」情報コーナーで、「むなかた文化財マップ」という無料の冊子をいただいて、高宮祭場のことを知りました。そこで行ってみることにしましたが、いやー清々しい気持ちになるいい場所でした。

 

道の駅の情報コーナーって、地元の文化財とか観光スポットとか、詳しい情報を知れるので、これからも利用してみようと思いました。

神社の由来がそのまま村の名前になった 笠松神社 福岡県宮若市

神功皇后伝承を歩く(上)」不知火書房 綾杉るな著、を読みながら神社巡りをやっていて、同時に神社境内にあるかもしれない庚申塔も探し回っています。

 

今回は、「神功皇后が松の樹に笠をかけると、その松の樹が大きくなって、神功皇后を風雨から守ってくれた」という伝承が残る、笠松神社に行ってみました。

少し高い場所にある、小さな境内の神社でした。見晴らしがよくて、「神社は樹木におおわれうっそうとしている」というイメージとは違う神社でした。

笠松神社の場所:福岡県宮若市四郎丸1856−4

現在地から笠松神社:Google マップ

神功皇后の伝承が残っている神社をたどる神功皇后伝承を歩く(上)」では、近くの春日神社から、今回の笠松神社までの行程も紹介しています。そうか、神功皇后がこのあたりを旅した時期は真冬だったんですね。

笠松神社には残念ながら庚申塔は祀られていませんでした。

福岡県鞍手郡にある庚申塔 木月

庚申塔はどこにあるかな?とアンテナを張りながら、車を運転していると、最近はなんとなく庚申塔のある場所がわかるようになってきた感じがします。

 

あの石塔って、庚申塔じゃないか?と思って、車を停めてじっくり見てみると、やっぱり庚申塔だった、なんてことも。そんな感じで見つけられた庚申塔がこちら↓。

道路右わきにある、お堂らしきものが石垣の上に建っています。なんとなく、庚申塔なのかなと思ってチラッと見てみたら、やっぱりそうらしい。

 

場所:福岡県鞍手郡鞍手町木月1274

現在地から宮若市庚申塔Google マップ

実際には、表面の刻印は風化してて、詳細は確認できませんでした。もしかしたら庚申塔じゃないかも。でもこの円柱の独特な形といい、加工が過度に加えられてない自然石そのままという感じといい、庚申塔っぽいですね。

 

自然石崇拝は巨大な石、あるいは形態に特色のある石に、霊威ある神の霊が宿っている、と信じるところからおこるのである。石の宗教 (講談社学術文庫)五来重

 

木月の集落をgoogleマップで見てみると、周囲は田畑に囲まれてて、田園の海にうかぶ小さな島のようになっています。その島の北側と南側に、それぞれ須賀神社と剣神社が祀られていますね。古くからあるこういう集落の神社には、なんとなく庚申塔も祀られているような感じがあります。

こういう目ぼしをつけて、実際訪れて、庚申塔がほんとにあったりするとうれしいですね。機会があればこのふたつの神社にも足を運んでみたいですね。