日々の”楽しい”をみつけるブログ

史跡探訪と写真好きのku-(くー)といいます。日々の生活に楽しみをみつけて、紡いでいこうとするブログです。

九州の街道 内野宿(うちのしゅく) その街並みを歩いてみた①

福岡県飯塚市内野には、昔、九州に8本あった大きな街道のひとつ…長崎街道が通っていました。街道には、各所に旅人が泊まることができる宿場町があり、その中のひとつに、ここ内野宿(うちのじゅく)があったそうです。

 

場所:福岡県飯塚市内野

内野宿の中心地あたりまでの地図:Google マップ

 

↓下の地図だったら、赤い線が長崎街道。飯塚と山家の宿場の間に、内野宿がありました。今回、ここに足を運んだのは、「内野の大銀杏」の近くの十三仏を以前に見に来たことがあったからです。

アクロス福岡文化誌1 街道と宿場町」(アクロス福岡文化誌編纂委員会編)から引用

 

↓このみごとな、イチョウの樹と、十三仏。そして、周りののどかな田畑と山々のつらなる景色。それが、なんとも印象的な場所だったので、再度、訪問してみたいと思ったから。もうちょっと、内野宿があったという町を歩いてみたかったから。

 

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 だいたい、人が一日歩いてちょうど日が暮れるくらいの距離ごとに、宿場町があったそう。ここ内野宿から次の山家宿までの間に、冷水峠(ひやみずとうげ)という、長崎街道最大の難所があったので、旅人は内野宿で休養をとってから、「よっしゃ」と難所にとりかかっていったんでしょう。

 

内野宿の構造について大雑把にまとめてみた

内野の町は、ほんとに小さな規模の集落。筑前内野という駅はあるものの、周囲も繁華街等があるわけではなく、のどかな田園風景が広がっています。

↑町の端から端までは、わずか600mほど。厳密にいうと、もうちょと大きいのですが、宿場町の名残ががみられる場所は、この600mほどの範囲でした。

 

長崎街道が通っていた、町のメインストリートを南西に下っていくと、途中こんな建物が右手に見えてきます。

これ、町のコミュニティーセンターのようなところなのかな?アイスクリームなんかも売ってて、売店も兼ねているようです。

 

この建物のすぐ左側から、小路と呼ばれる、「内野の大銀杏」へ向かう道が伸びています。この小路は、山越えして太宰府へと延びているそうです。

この小路を境にして、北側を下町、南側を上町と呼びます。地図を見ていると、なんだか、感覚的に上下が逆のような感じで、ちょっと違和感を覚えますが、こういうものだと受け入れます。

長崎街道は、内野宿をでて南西に進み、冷水峠を経由して、次の宿場町である山家へ至ります。

アクロス福岡文化誌1 街道と宿場町」(アクロス福岡文化誌編纂委員会編)から引用

 

宿場町にはたくさんの職業があった

内野の町なかに、「長崎街道 内野宿展示館」という場所があって、その建物の壁に↓こんなものがかかっていました。内野宿には、昔、どんな職種の人たちが住んでて、どこにそれぞれの人たちが住んでたのか、地図になっているものです。

すごい詳しいですね↓。飴屋、氷屋、あそび人なんてものもあります。そうか、昔は風呂屋なんてものもあったんですね。

でも宿場町らしく、旅籠(宿屋)が多いようです。この看板がかかっている展示館も、昔は、肥前屋(ひぜんや)という宿屋さんだったそうです。

 

記事が長くなりそうなので、今回はここで終わり。次回は、実際、町を歩いた写真をボチボチと載せてみたいと思います。

九州には8本 大きな街道があった 唐津街道の方位石(ほういいし)

九州の町を周っていると、ときどき、「○○街道」とか「■■宿(じゅく)」とか、史跡の看板を見かけることがある。気にはなるものの、歴史に強い興味があるわけではないので、これまで街道についてはスルーしていた。

 

だけど、図書館でこういう九州の街道や宿場町について書かれた書籍を見かけ、全体図が載っていたので、どうせなら少しずつでも勉強していこうという気持ちになった。

↑これがその街道の全体図。こうやって、まとめてくれているものがあると、入りやすい。この本は「アクロス福岡文化誌 街道と宿場町」(アクロス福岡文化誌編纂委員会)というもの。街道の全体図は、本の冒頭に記載されている。

 

この図によると、九州には全部で8本の主要な街道が走っていることがわかる。

長崎街道

唐津街道

・秋月街道

日田街道

中津街道

薩摩街道

豊後街道

日向街道

 

ちょっと話はそれるが、これまで、庚申塔と思ってさがしていた猿田彦大神の石塔は、どうも道祖神ということが最近わかってきた。↓こういう石塔

猿田彦大神の名が刻まれているけど、庚申塔に刻まれているような三猿や二鶏、月雲などが刻まれていない、上の写真のような石塔は、庚申信仰のために造られてきたものではないらしい。

こういう猿田彦大神の名だけが刻まれた石塔は、旅の安全を期すために造られたものが多くて、たくさんの旅人が行き交う街道沿いに祀られることが多いようだ。

 

だから、街道のことを知ってゆき、街道を渡り歩いて行けば、自然と、こういった道祖神に出会える機会も多くなるかも…と期待を持った。なにしろ、道祖神や、庚申塔を趣味で探し回っているので…

 

今回の投稿は、庚申塔道祖神ではなくて、方位石(ほういせき)という史跡。方位石というのは、その名前のとおり、方位を確かめるための石。実物はこのようなもの↓

これは北九州市若松区恵比須神社(えびすじんじゃ)境内に置かれています。方位石は、要するに、方位磁石がない時代に、街道などに置いておき、旅人が、どちらが北か南かを確かめていたんでしょう。

石の上面にはこんなものが刻まれているそう。これは方位石の傍にある、案内看板の表示。案内看板には、端的に書くと、こんなことが説明されていました。

・港の一角の小高い山や丘に置いて天候予測をしていた

・安全祈願のために社寺に奉納していた

・方位を見るため高い山などに置いていた

・江戸時代末期ごろに置かれていたのかも

 

恵比須神社は、北九州を象徴する赤い大きな橋…若戸大橋の、すぐ下にある。

神社拝殿のすぐとなりに、方位石は置かれています。恵比須神社のすぐそばまで海が来ていた時代は、この方位石は波打ち際に置かれていたということ。若戸大橋の建設にともない、現在の位置に移動させられたそう。

「おえべっさん」という祭りのとき以外は、恵比須神社には来たことがなかった。祭りのときじゃない恵比須神社境内は、意外と広々としていることがわかった。

方位石の場所:福岡県北九州市若松区浜町1-2-37

地図:Google マップ

嘉麻市(かまし)才田の庚申塔

福岡県道439号線を、西へ進んでいくと、千手川と交差する場所がある。この場所に架かる橋のすぐそばに、庚申塔が祀られている。

場所:福岡県嘉麻市嘉穂才田

地図:Google マップ

なにかの倉庫らしいものが、庚申塔の背側にあるけど、おそらく、近くの材木工場の市在庫だろう。その工場前の広場。囲いに守られた、庚申塔二基と、祠が祀られる。

嘉麻市を通ることが、ほとんどなかったので、庚申塔もこれが初めての発見になる。

 

福岡県朝倉市 周遊さいごに立ち寄った巨木 隠家森(かくれがのもり)

全国8位の巨木なんだそうです。国指定の天然記念物、「隠家森(かくれがのもり)」。

 

場所:福岡県朝倉市山田289

地図:Google Maps

樹齢は1500年以上。福岡県朝倉市を周って、これが最後にたちよった巨木です。前回、ご紹介した、須賀神社のクスノキと比べて、だいぶ枝や幹が傷んでいるようにみえます。昭和初期には、↓こんな感じの、綺麗なキノコ型の枝葉が伸びていたんですね。

横から見ると、黒い色違いの部分が、幹にあります。ここに空洞があって修復されたんでしょうか。

そばの案内看板には、こんなことが書かれていました。

昭和28年の大水害以降 周囲に家屋が建ち、平成3年の台風では大枝が折れ、樹勢が次第に衰えていきました。

 

この為、平成18年から開口部をふさいでいたモルタルの撤去や 腐朽部の除去等の治療を行い、現在樹勢は回復傾向にあります。

 幹に開口部があって、ここに以前はモルタルが張られてたんですね。それが一度除去され、再度、雨を防ぐものなどの人工物で、張りなおされたようですね。

隣にある家の屋根を、はるかにしのぐ高さの樹高です。

 

胸高幹周(18.0m)

樹高(21.0m)

根廻り(35.4m)

西暦661年。当時、朝倉の関がこの場所にあったそうです。ここを通るひとは、自分の名前を名乗って、名乗れないひとは、夜になるまでこの森に隠れていたといわれます。これが「隠家森」の名前の由来です。(案内看板より)

 

こういう場所はいついっても人は少ないですね。ぼくの趣味が偏っているんでしょうが、メジャーな観光地では、人がいっぱいのこの時期には、偏った趣味が幸いしてます。

須賀神社の大樟(おおくす) 写真追加 福岡県朝倉市

前々回に、ご紹介した福岡県朝倉市の大樟(おおくす)ですが… 

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 これだけでは、まだまだ、須賀神社の大樟の魅力が伝わらないので、もう少し写真を追加してみます。

 

拝殿のすぐ隣にある大樟とは別に、須賀神社にはもうひとつ、それに劣らない立派なクスの樹が、境内に鎮座しているんです。これが、その全貌↓ この大樟の写真を、今回はアップしてみます。

なんか、もう「THE 木」という感じの立派なクスですね。みてください、この立派な枝ぶり。

この↓地面を全体を覆うような、立派な根っこ。

思えば、朝倉市に観光に行ったとき、見て回った場所のほとんどが、こういう大きな樹がある場所でした。車で通りすぎた神社にも大きな、そして立派な樹がチラチラと見えてました。

朝倉市のおおまかな場所

 

そういう大きな樹を切らずに、メンテナンスをしながら、しっかり残しているのはどしてなんでしょう?

町が広がっていけば、開発に邪魔になるような樹や文化財は、移動させられたり、排除されたりするのでしょう。でも、朝倉の町は、そういう樹をむやみに切ったりしていないようです。

 

もう少し、朝倉の町について知りたくなりました。

 

場所:福岡県朝倉市甘木 須賀神社

地図:Google Maps

 

はやく行かないと売り切れる プルプル 絶品の葛もち

福岡県の朝倉市に、廣久葛本舗 (ひろきゅうくずほんぽ)という老舗の葛(くず)粉製造の専門店があります。ここの葛もちがおいしいという噂をききつけ、行ってみることにしました。

 

場所:福岡県朝倉市秋月532

地図:Google マップ

今は、もう十代目が経営されているそうで、創業が文政2年。文政2年といえば、西暦1819年。いまから…2017-1819=198…約200年前。昭和天皇が、ご即位の際に、くず粉を献上したんだそうですよ。

葛粉製造所とはいえ、店舗では「くず餅」、「くずきりぜんざい」、「くずきり」などが食べられるそうで、ぼくたち家族は、くず餅を買って帰ることにしました。

 

2017年5月3日に、廣久(ひろきゅう)へ15時ごろ足を運んだときは、あいにくの雷雨。でも、この悪天候が幸運でした。というのは、くず餅が残っていたからです。お店のひとから聞くところによると、雨じゃなかったら、だいたいこの時間だと、くず餅は売り切れになっているんだそう。

 

ぼくたちは、最後の一個を奇跡的に手に入れることができました。↓こちらが風呂敷につつまれた、くず餅(800円 税含まず)

こういったものを、購入することがあまりない僕たちにとっては、ちょっと高めに感じる価格です。

おお~、見た目からプルプル。おいしそう。

この透明感。見た目はイカの刺身のようですが、やわらかさが全然ちがいます。箸で持ち上げても、自分の重みでちぎれてしまうほど、やわらかい。

同じ箱に同封されている黒蜜につけて、さらにきな粉にまぶして食べると、口のなかでトロトロ、甘味が広がりますよ。個人的には、黒蜜にくず餅をつけたあと、きな粉をしっかりと直接ふりかけて、まぶしたほうが、よりおいしさが増す感じがしました。

この高級感は、自分用というよりも、おみやげ用として買うのが、ぼくとしてはいいかな。ネット販売「廣久葛本舗 十代 高木久助」もやっているようです。

祇園社の大楠(おおくす) 福岡県朝倉市 須賀神社

樹齢700年をこえる、クスノキに会いにいきました。場所は、福岡県の朝倉市。朝倉の町は、ほんの数回きたことがあるだけ。

 

数回きた印象としては、福岡県内の他の町と比較して、古い文化財や自然が、たくさん町中に残っているような感じです。庚申塔道祖神も、車で走っていて、見かける頻度が多いように思えます。

 

妻と話し、あまり足をのばしていない町にも行ってみようということで、今回は朝倉市まで行くことに。ネットで、なにか目ぼしい場所はないか調べてみると、「祗園の大樟| 朝倉市」にクスノキが紹介されていました。

 

 

目的のクスノキの写真が↓こちら。

 

 祇園社の大樟(おおくす) 場所:福岡県朝倉市甘木873−5

祇園社の大樟 地図:Google マップ

 

隣にある神社拝殿に覆いかぶさるような勢いですね。写真ではなかなか、そのダイナミックさが伝わらないのが残念です。まじかで見る幹の重量感がすごい。

データでは、樹高28.0m、胸高周囲13.7mとなっていますが、なかなか、数字ではピンときませんね。昔から、この須賀神社(昔は祇園社)の神木としてあがめられてきたそうです。

須賀神社の南西400mくらいのところに、安長寺があって、ここにも大きなクスノキがあります。

須賀神社のクスと安長寺のクスは夫婦関係にあるといわれてて、須賀神社のほうが夫なんだそうです。

 

ちなみに、こちら↓が安長寺の大樟(おおくす)です。個人的な印象では、安長寺のクスノキのほうが、骨太でどっしりしてて男性的でした。安長寺のクスは、樹高31.5m、胸高周囲11.4mと、須賀神社のクスよりも高く、幹周りは少し細いようですね。

天正12年(1584)に、島津軍が太宰府を攻めた際、朝倉の町も焼討ちにあったといわれています。このクスは、その焼き討ちの際、一度焼けたといわれてます。焼けた幹部分は、今では空洞になってて、その箇所には不自然に白い樹が埋め込まれています。

まだまだ、朝倉の町には、こういった天然記念物級の樹や、昔から大切にされてきた文化財なんかがあると思われます。歴史資料館なんかにいって、もっと朝倉について調べてみたいと思いました。