1800年の歴史をもつ高倉神社。境内の一画に祀られる稲荷さま。うすぐらい境内に、うすい光を反射する鳥居がぼんやりと浮かびあがる。
地図:Google マップ
鮭を祭るめずらしい神社があると聞いて、福岡県嘉麻市の鮭神社に行ってみることにしました。
場所:福岡県嘉麻市大隈
地図:Google マップ
そもそも、どうして鮭を神様として祀るようになったんでしょう?
それは、こちらのかたのブログが詳しいです。
鮭神社・山幸彦とウガヤフキアエズとを祀る宮・鮭は豊玉姫の使い : ひもろぎ逍遥
ざっくりと解釈すると、海神である豊玉姫(とよたまひめ)が、鮭をお使いとして、子どものウガヤフキアエズのミコトのもとへ送るといういわれがあるために、鮭を祭るようになったようです。
この神社の氏子さんたちは、鮭が神の使いであるために、鮭を食べないという習慣を守っているそうです。
拝殿には鮭の魚拓や、木彫りの像などが飾られています。魚拓は、昭和53年12月13日のもので、体長81㎝。
境内をみてまわると、ちょっと気になるものが…何かの塚のようですが、札をみてみると「古い昔の鮭塔の跡(鮭を埋めた印)」と書かれています。
私共氏子は鮭を捕えた人々が持参してくれたら、神前にお供えして神官を呼び祝詞を上げて頂いて、鮭塚へ埋める習慣になっていた。
「献鮭祭(けんけいさい) | 嘉麻市観光ポータル」によると、毎年12月13日に献鮭祭(けんけいさい)と呼ばれる祭りが開かれ、その年の遠賀川流域を遡上してきた鮭を奉納するのだそうです。
この鮭塚…のちにウィキペディアで調べてみると、明和元年(1764年)が刻まれているとのこと。現在では、古い塚とは別の場所に、奉納した鮭を埋めるのでしょう。
ここからは、話題は変わりますが、鮭神社にも庚申塔(こうしんとう)が祀られていました。
二の鳥居わきに二体の猿田彦大神。
ひとつは「明和」という年号が刻まれていますが、その下は判別できませんでした。
↓もうひとつは、嘉永三(庚戌)と明確に刻まれ、1850年に造られたことがわかります。
さらに、境内にも一体の庚申塔。
こちらも年号が刻まれていそうですが、僕には判別はできませんでした。明和元年かな?
鮭塚の年も明和元年(1764年)だったので、2017-1764=253で、ずいぶん古い歴史がありますね。鮭神社自体は769年に建立されたそうです。
ああ、なんて綺麗な景色。福岡県糸島市にある火山(ひやま)という山から眺めた景色です。なんだか南国の海のようなブルー。ネットで、糸島のみどころを探していると、この火山(ひやま)展望所がヒットして、ここからの景色を一度みてみたいと思い、行ってみました。天候にめぐまれたのもよかったんでしょうね、沖縄の景色みたい。
展望所とはいっても、なにか櫓(やぐら)がくんでいるわけではなく、コンクリート製の建物が建っているわけでもありません。ふつうの細い道路の、木々が切れているところから眺めるだけです。
ただ、パラグライダーが飛び立つための台が、山の斜面に造られています。それが目印になります。
google mapの航空写真でみると、駐車場から展望所までの道のりは、こんな感じ。山頂から景色を眺めるものだと思っていたので、現地について山頂に歩いて行ってみても、「どこから景色をみるんだろう。展望が開けてない」とちょっと迷ってしまいました。
駐車場から山道を登って山頂へ行き、さらに山頂の電波塔から、舗装道を少し下ったところが目指す展望所でした。↓こんな感じで木々が切れる場所があって、海が見え始めたので、「ここでよかったんだ」と安心しました。
迷わないようにgoogle mapで示しておきます。
駐車場の地図はこちら:Google マップ
そして、展望所の地図はこちらです:Google マップ
糸島市では、「糸島市 志摩歴史資料館」にも立ち寄ってみました。ここで、糸島市にちらばっている庚申塔(こうしんとう)を調査した資料を見つました。どうやら、糸島市にも、たくさんの庚申塔が祀られていて、まだ庚申待(こうしんまち)と呼ばれる昔からの寄り合いが開かれている地区もあるようです。
古い文化が残っている地域なんですね。庚申塔を調査した資料を購入(1000円)したので、これをもとに、糸島市の庚申塔も探してみたいと思いました。
北九州市の門司区には、庚申塔さがしに、足をのばしたことがありませんでした。門司の町には、古い街並みが残っている場所もあり、庚申塔を探してみると案外みつけることができるんだという、発見がありました。
今回は、門司区の八坂神社に、庚申塔があるという情報を得て、行ってみることにしました。
地図:Google Maps
拝殿に向かって右側に庚申塔群…「猿田彦」の名前のみが記されているので”道祖神”と呼びます…が祀られていました。
この岩の形は、穴がぼこぼこと開いていて奇妙ですが、海辺にある海蝕岩にこのような形体の岩が多いように思います。海の波によって、岩のやわらかい部分が先に削られて、このようなぼこぼこの形になったのでしょうか。
海蝕岩を使った道祖神は見たことがなかったので、新鮮でした。門司は海辺の町だけあって、こういう特徴的なものがみられるんでしょうね。
↓こちらは、通常の形体の岩でつくられた道祖神。
↓こちらは「興玉神」と刻まれています。猿田彦となにか関係があるのか、調べてみると、こんなことがわかりました。
これは”おきたまのかみ”と呼び、猿田彦大神を指すか、または、猿田彦大神の子孫である大田命の別名なんだそうです。名前は違えど、この石塔も道祖神の一種のようです。
一番右側に、もうひとつ↓こんな石塔が祀られていました。こちらは、表面に刻まれている文字が、”神”のみ判別できる程度で、全部は読み取ることができませんでした。
これら石塔群は、門司区の大里本町各所に祀られていたのを、町の開発とともに、ここ八坂神社に集められたと考えられます。