日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

相補関係

福岡県北九州市にある若戸大橋(わかとおおはし)。洞海湾をはさんで、若松区戸畑区を結ぶ、赤い大きな橋です。

若戸大橋が完成したのが1962年。2017年時点で、55歳になります。一方、橋がつくられる前から活躍していた若戸渡船は、1889年から若松村の管理下で運航しはじめたんだそうです。若戸渡船のほうは、なんと128年以上の歴史があるんですね。知らなかった。

 

若戸大橋は、ひとが歩いて渡れないので、自転車や徒歩のかたが、渡船を使います。大人でも片道100円と格安の運賃です。

 

人を運ぶ若戸渡船と、車が渡る若戸大橋。お互いに足りない部分を補いあって共存しているんですね。

あたらしい土地で庚申塔(こうしんとう)探し 福岡県糸島市志摩町

これまで、あまり行ったことのない土地である福岡県糸島市。福岡の中心部から比較的近いにもかかわらず、南国のような青い海をはじめとした、たくさんの自然と、おしゃれなカフェや雑貨があるというイメージが、糸島市にはあります。

 

庚申塔(こうしんとう)のような古い文化とは、関係のないような地域に思えていましたが、糸島市にある「糸島市 志摩歴史資料館」に寄ってみたとき、みつけたこの資料で、イメージが変わりました。

糸島の、特に志摩という地域に分布する庚申塔についてまとめられた資料です。志摩町教育委員会が発行をしている「志摩町庚申塔 志摩町文化財調査報告書 第28集」。

 

この資料をみながら、志摩町を巡り、今回の庚申塔へ行きつきました。庚申塔を魚拓(ぎょたく)のようにして、刻印された文字を紙に残したものを拓本(たくほん)と呼ぶそうです。この拓本をとってきたかたがたによって、地道に庚申塔についての調査が行なわれたそうです。

以前、なにかの書物では、「猿田彦大神」のように「庚申(こうしん)」以外の銘が決まれている石塔は、庚申塔としては分類していなかったと記憶します。

 

でもこの「志摩町庚申塔」では庚申と刻まれているものも、「猿田彦大神」と刻まれるものも、「塞神(さいのかみ)」と刻まれるものも、「街神」と刻まれるものもすべて庚申塔として分類しているようです。人によって庚申塔の解釈も違うようです。

 

志摩野北へ探しにいってみた

今回は、その「志摩町庚申塔」を読んで、志摩野北という地区にある庚申塔へ行ってみることにしました。

糸島市を巡っていると、ときどき道ばたで、庚申塔をみかけることがあったのですが、福岡県の他の地域の庚申塔と比較して、サイズが全体的に大きい印象を受けていました。志摩野北にある庚申塔も大きく、刻まれている文字も独特のものでした。

 

場所:福岡県糸島市志摩野北

地図:Google マップ

溜池のすぐちかく。道が分岐しているところに、庚申塔は祀られていました。

 

難しい漢字で、「庚申塔」という記銘がされています。「志摩町庚申塔」によると、「寛政十一歳舎巳未 正月吉旦」と建立年月が記銘とのこと。建立年月は、漢字が多くて、ぼくにはよくわからないので、ひとつひとつ解読してみることにしました。

 

「寛政十一」は西暦で1799年。この年の干支(えと)が巳(つちのと)未(ひつじ)。ここはわかったのですが、歳と舎の字が何を表しているのかわかりません。

 

歳と舎の意味

歳は「年」と同じ意味で使われたのかもしれません。ネットの辞書で調べてみると、【とし】という読みで【歳・年】と書かれています。どうも同じニュアンスで使われているようなので、「寛政十一歳」は、「1799年に造られました」という意味なんでしょう。

 

もうひとつ、「寛政十一歳巳未」の「舎」は、どんな意味を表しているんでしょう。

 

1.
一般に、人の住む建物。いえ。やしき。 「校舎・屋舎・兵舎・営舎・官舎・寄宿舎・精舎(しょうじゃ)・茅舎(ぼうしゃ)・禽舎(きんしゃ)・牧舎・駅舎・堂舎」
2.
仮にとまる建物。やどり。やど。やどや。仮の家。 「客舎・旅舎」
3.
行軍のときにやどる所。転じて、一日の行程三十里をいう。 「三舎を避ける」(さんしゃ(三舎))
4.
星のやどり。
5.
自分の。私の。 「舎弟・舎兄」
6.
「寄宿舎」の略。 「舎監・舎長」
7.
やどにつく。やどる。 「舎営」
8.
梵語(ぼんご)の音訳字。 「舎利・舎那(しゃな)」

 …といろんな意味があったのですが、庚申塔の建立年月の一部に刻まれているということは、この中の意味では「やどる」という意味が一番しっくりくるように思います。この庚申塔という石塔に、神様がやどったと解釈してみました。

 

だから「寛政十一歳舎巳未 正月吉旦」は、シンプルに言うと「1799年の1月に建てましたよ」となるのでしょうが、昔のひとはちょっと洒落た表現で刻んだんでしょうね。

島津丸山古墳ふきんの夕景 福岡県遠賀郡

場所:福岡県遠賀郡遠賀郡遠賀町島津

地図:Google マップ

 

今日は比較的、花びらが開いている蓮が多いように感じました。丸山歴史自然公園ちかくの蓮池です。たくさんの蓮がつぼみの状態でしたが、夕方でも一部の蓮は花開いているようです。いちどは早朝の、蓮の花が開いている時間帯に、ここを訪れてみたいものです。

丸山歴史自然公園のなかは、写真を撮っていると、たくさんの蚊に襲われます。きづいてら腕に4~5匹の蚊がとまって、血を吸っています。服の上からでも容赦なく刺してくる猛烈蚊を追い払いながらの写真撮り。夕陽に照らされる木々は、写真で撮ると思った以上に赤に燃えます。

これといって、大きなみどころのある公園ではないけど、夕日が木々の間から差し込んでくる光は、思った以上に綺麗なひとこまを見せてくれました。

さざ波 福岡県遠賀郡の洞山ふきん

福岡県遠賀郡芦屋町に洞山という場所があります。海にせり出した磯に小山があって、その小山にぽっかり大きな穴があいています。だから洞山というんでしょうが、この穴には伝説が残っています。

 

昔、神功皇后が矢を射ると、 矢は小島を貫通し、その穴が大きくなって洞穴になったんだそうです。その洞山ふきんで、風の強い日に、波模様を撮ってみました。

 

なにかいい景色はないか、海辺をうろうろしていましたが、夕陽が沈む時間帯では、やっぱり、きらきら輝く波に目がいってしまいます。

この日は風が強くて、いつものぬらぬらした波模様ではなくて、強風にあおられたザザザっとしたさざ波が、夕日を反射していました。

八剣神社の庚申塔 福岡県中間市中底井野

地域によっては、その地区の教育委員会なんかが、庚申塔の分布図をまとめて史料として出版してくれている地域があります。でもそういった地域は珍しく、ぼくは庚申塔を探すときは、ほとんどが個人のブログを見て手掛かりをみつけたり、いきあたりばったりで神社やお寺などを探し回って、庚申塔をみつけています。

 

福岡県の庚申塔は、神社に集められていることが多いようなので、最近では地形図を眺めて、「あっ、ここの神社は庚申塔がありそうだな」と、目ぼしをつけていくことにしています。そんなやりかたで、今回の庚申塔はみつけました。

場所:福岡県中間市中底井野

地図:Google マップ

 

中間市にある八剣(やつるぎ)神社の境内に祀られる庚申塔です。拝殿にむかって左側。「八幡宮」と書かれた小さな鳥居の先に、小さな社(やしろ)。

境内には、夕日がやわらかく差し込んできています。

周囲は田園が広がっていました。

小さな八幡宮と書かれた社(やしろ)のすぐそばに、クスノキとおぼしき立派な樹がたっています。その樹の根元に庚申塔が二基祀られていました。

↓どちらの庚申塔にも「庚申尊天」と刻まれています。

向かって右側の庚申塔には「寛政?辰 四月」と刻印。?の部分は読み取れませんでした。でも調べてみると、寛政という時代では”辰”がつく年は、「丙辰」しかありませんでした。寛政の丙辰…つまり寛政8年…つまり西暦1796年。

もうひとつの左側の庚申塔の成立年月日は、読み取ることができませんでした。

境内の木々からはセミの声がキンキンひびいてきます。歩いていると、ときどき、ジジジ…と逃げていくクマゼミが見られます。この庚申塔にもセミの抜け殻がくっついていました。

皇祖神社にある庚申塔 飯塚市鯰田

 

福岡県を流れる遠賀川の、やや上流域。川のそばにある神社で、庚申塔が祀られているのを、以前にちらっと見かけました。ちらっと見かけたので、今度、飯塚を訪れたときに、その庚申塔が祀られる神社にいってみたいと思っていました。

 

場所:福岡県飯塚市鯰田

地図:Google マップ

 

「川のそばにある神社」という、わずかな記憶をたよりに、Google mapを探していると、この鯰田(なまずた)という場所に、川のそばの神社を見つけました。皇祖神社です。

ネットで「飯塚市 皇祖神社 庚申塔」というキーワードで調べてみると…こちら「皇祖神社(鯰田) ..::産土神名帳::..」のサイトで、神社にはたしかに庚申塔が祀られていることがわかりました。よし、行ってみよう。

 

境内には、たくさんの庚申塔が祀られていました。というか、境内社というかたちで、メインの拝殿とは別に、小さな神社がいくつか祀られていました。ザザっと、庚申塔猿田彦大神の石塔をアップしていきます。

境内に入って、すぐ右側に金刀比羅宮の鳥居とともに、庚申塔が二基、猿田彦大神の石塔が二基。

 

↓こちらが庚申塔の二基。ひとつの神社に、複数個の庚申塔が祀られていることがよくある福岡県。大分県を周っていたときには、ひとつの集落にひとつか、ふたつの庚申塔が祀られているという印象を持っていたので、地域によって、ちょっと風習が違うんだなということがなんとなくわかってきました。

↓こちらが、いびつな形の石に刻まれた猿田彦大神の文字。

↓一方、こちらは比較的整えられた形の石に刻まれた猿田彦大神

 

庚申塔はこれらだけかと思っていましたが、拝殿にむかって境内の右奥のほうにも石塔が立っているのが見えました↓

↓近づいてみると、おお、こちらも庚申塔

↓さらに、庚申塔の後ろ側にも、なんとなく庚申塔っぽい石塔が確認できました。ぼくが確認できただけでも、4つほど庚申塔が、この皇祖神社には祀られていました。

やっぱり、これらの庚申塔も、集落の各所にあったものが地域の開発とともに、皇祖神社へ集められてきたのでしょうか。4つの庚申塔には、造られた年月日は彫られていませんでした。

 

蓮(はす)の花が美しい 福岡県遠賀郡遠賀町

こんなところに、蓮が咲く池があるとは知りませんでした。福岡県の遠賀郡にある小さな池です。池のすぐ近くに、島津丸山古墳という遺跡公園があるのですが、この公園に立ち寄ったときに見つけた場所です。

 

場所:福岡県遠賀郡遠賀町島津

地図:Google マップ

 

 

小さい池なのですが、ここは春は桜がきれいだった記憶があります。夏は蓮なんですね。ひとつの池でも、蓮の栄枯盛衰がみれます。

 

生まれ…

華やぎ…

 

朽ちていく…

池の周囲は昔からの住宅街ですが、道は広々としてて、駐車スペースには困りませんでした。地元のひとの邪魔にならないよう、道路わきに車を停めさせてもらい、池の周囲を歩いて、蓮を撮ってみました。

 

池のまわりを歩くごとに、小鳥の鳴き声のようなものが聞こえて、ぽちゃんと池に飛び込む生き物がいました。よくみると手のひらサイズの大きめのカエルが、逃げて池に飛び込んでいるようです。こんなにたくさんいるのか!と驚くほど。歩くごとにポチャポチャ音がします。

 

この池、周囲にはあまり人の気配はなくて、ゆっくり蓮が鑑賞できました。蓮の花が開くのは、早朝のようなので、見ごろはその時間帯なんでしょう。