座標値:33.77239,130.6798
田頭というバス停のすぐそばに祀られていた庚申塔です。三基ありました。
右側から…
自然石の猿田彦大神
真ん中の援田彦大神
そして、一番左側の庚申塔はほぼ文字は見えなくなっていました。
遠賀川 流域の文化誌 香月靖晴著 p46では、この庚申塔には「鳥取幸神」と刻まれるという。
また、天保十二丑五月 五拾四歳女…とも刻まれるという。
天保十二年ということは1841年。
遠賀川―流域の文化誌 (海鳥ブックス (6))という書籍を見ながら、遠賀川に関連した史跡を探訪しています。今回はその書籍のP42…「石塔の謎」という項目に「トリ庚申塔」というものが紹介されていました(P44)。
「トリ庚申塔」は、若宮町から飯塚市にかけて存在する庚申塔なのだそう(P44)。
「トリ」の部分はP46~47の表をみると…取理、取鳥、取里、鳥取…というようにバリエーションがあるようです。
しかしどうして「トリ」という文字を庚申塔につける必要があったのか?鳥に関することがあるのか?鳥取県に関することがあるのか?
いくつかの説が同書に挙げられていますが、決定的な説はないようで、どれも”可能性がある”ということなのだそう。それらの説を以下に挙げてみます。
鳥取県の鳥取庚申さまに願いごとを書いて送るとかなったという言い伝えから、それにあやかり、鳥取という文字を刻んだ
猟で獲った鳥の供養の目的のために刻んだ
庚申の主尊である青面金剛の使者の鳥を刻んだ
収穫のトリ入れにかけて…豊作祈願の目的で刻んだ
庚申信仰で満願成就のしるしとして「とりあげ庚申」を「トリ庚申」とした(豊前歴史風土記 桐畑隆行著)
「鳥申(とりさる)」という語呂から「取り去る」という意味にかけて、病気や災厄をまぬがれる祈願目的のために刻んだ
以上、ご紹介したような「トリ庚申」。そんな謎の多い庚申塔を求めて福岡県の宮若市へ行ってみました。
場所:福岡県宮若市山口 伊久志神社
座標値:33.747000,130.601431
遠賀川―流域の文化誌 (海鳥ブックス (6))のP47表2「トリ庚申石塔関係一覧表」で、伊久志神社の境内に「トリ庚申」のひとつがあることが紹介されています。
伊久志神社は田んぼのなかにぽつんと祀られていました。田んぼのなかの小道を通って神社には行くことができました↓
鳥居をくぐってすぐ左側に目的としている庚申塔が祀られていました。庚申塔は三基祀られており、そのうちの一基が「トリ庚申」でした。
↓裏側から見るとこのような感じ。この写真だと…こちらからみて一番左側の一番小さな石塔が「トリ庚申」でした。
↓その庚申塔を見てみます。
とても浸食がすすんでおり、「取庚申」という文字がかろうじて確認できます。
遠賀川―流域の文化誌 (海鳥ブックス (6))P47では「取タリ庚申」と刻まれる…紹介されていますが、どうも「取庚申」とのみ刻まれているようです。
この庚申塔の隣には、すこし背の高い石塔が祀られており…
石塔の正面に「庚申祠建立」、石塔に向かって右側面に「元禄十二年」…
左側面に「卯九月吉日」の文字が刻まれていました。
もう一基、笠付の石塔があったのですが、こちらはほとんど文字を読み取ることができませんでした。
カメラの勉強メモです。
蓮の花が美しい季節になりました。福岡県のとある場所で撮影した蓮。開花時間は早朝から8時、9時台にかけて満開となり、それ以降はしぼんでゆくそうです。こちらの写真は朝6時半ごろに撮ったもの。
小雨が降り日の光は強くなく、花びらは湿り気を帯びしっとりとしていました。水面の反射を抑えるためにPLフィルターを使用。
花びら全体をできるだけくっきり写したかったためにF値は8に設定。200㎜の望遠レンズ使用して三脚を使用。ブレをおさえるためにレリーズも使用。
シャッター速度は1/6秒。少しのブレやボケがでないよう、三脚とレリーズを使用。
ライブビューで雄しべ部分にマニュアルフォーカスでピントを合わせました。風はあまり吹いていなく、花びらは揺れていなかったのでISO感度は低く保ち、200に設定。
水面に映る蓮の花びらも美しく、これもしっかりと写真に写るようシャッター速度をやや速くしてアンダーとなるようにしました。
写真を撮ったあとは、写真に写った余分なものを省き花びらだけをピックアップする目的で、nik collection(google無料提供画像編集ソフト)でコントラストをやや強くしました。
コントラストを強くすることで余分なものが黒の部分にかくされました。
構図がなんの工夫もない構図であるために個性がでるよう腕を磨きたいです。
遠賀川―流域の文化誌 (海鳥ブックス (6))のP170-171に掲載されている表8で、「遠賀川水運関係の文字などが残っている神社・奉納物」が紹介されています。
そのなかの水巻町にある貴船神社に奉納されている「手洗石」を訪ねてみました。
水巻町の貴船神社は以下の場所に建立されている小さな神社です。
座標値:33.848522,130.691070
貴船神社は民家に囲まれるようなかたちで、境内があります。民家の間の狭い路地を通り抜けて境内へと進みます。
境内に上がってすぐ左手に目的の手洗石がありました↓
その手洗石に以下の文字が刻まれていることが確認されました。
「明治四十二年二月吉日 下二船主中」。下二というのはこの地域の名前。つまり下二の川船の船頭が、明治42年…1909年に寄贈しました、という意味なのでしょう。
遠賀川流域には、このように川船の船頭が勧請した祠や鳥居、常夜灯などの石造物が数々残されているといいます(参照:遠賀川―流域の文化誌 (海鳥ブックス (6))P168)
そのほとんどが幕末から明治年間のものらしい。
まだまだ探して行ってみたいと思います。
遠賀川―流域の文化誌 (海鳥ブックス (6))を読んでいると、P168に以下のような記述があります。
芦屋の岡湊神社の境内に志賀海神社があって、1933年、芦屋艜業組合中による社殿再建の寄付者名と説明版が掲額してある。
同書のP170には「遠賀川水運関係の文字などが残っている神社・奉納物」(表8)がまとめられており、志賀海神社の社殿が昭和8年3月に再建されたことが示されています。
昭和四年三月火災消失したのを芦屋艜業組合中で再建した由来を掲額(岡湊神社境内)
岡湊神社に志賀海神社を探しに行ってみました。
しかし、境内には「志賀海神社」と書かれた社や祠などは見当たらなく…
…もしかしたら↑こちらの社殿が志賀海神社ではないかという推測のみ立てられました。こちらの建物は岡湊神社社殿の右側の広場にある比較的小さな神社です。
座標値:33.8912697,130.6699829
写真にも写っていますが、この神社の正面に向き左側に石塔が建っており、その石塔には、明治29年1月にこの建物が建てられたことが示されています。
ちなみに岡湊神社の由緒書には遠賀川―流域の文化誌 (海鳥ブックス (6))で紹介されていたのと同様の説明書きが掲載されていました。↓昭和四年の部分です。
ただこちらの説明書きには「志賀海神社」の文字はなく、岡湊神社について説明されているようです。よって昭和四年に火災により岡湊神社が消失し、それが昭和九年に地元民により再建されたと解釈するのが自然と考えられます。
仮に↓こちらの神社が志賀海神社であれば、石塔の文字と「遠賀川」の書籍の記述とを合わせて考えてみると…明治29年(1896年)に建立され、昭和4年(1929年)に消失。昭和9年(1934年)に再建された…と解釈したらいいのでしょうか。
岡湊神社境内には、他にも多くの神社が祀られていますが、志賀海神社の文字はみあたりませんでした。
台風が過ぎ晴れとなりましたが雲の多いこの日。夕日に照らされる高積雲がきれいだったので、よく足を運ぶ海岸へと行きました。思い描くような夕景にはであえなかったのですが、磯のゴツゴツ感と独特の造形に迫力を感じたために、三脚を立ててじっくり写真に撮ってみました。
F値 16
シャッター速度 1 秒
ISO 200
三脚・レリーズ使用
ピントは画面中央よりやや下方の水たまり部分に合わせました。
岩場と空にかなり明るさの差があったので、岩場にピントを合わせると空が白くなり、空にピントを合わせると岩場が黒く塗りつぶされます。そこでHDR(ハイダイナミックレンジ)という機能を使って明暗の差を少なくしました。
できあがった写真はGoogleが無料提供するNik Collectionという写真編集ソフトを使ってコントラストをあげました。そうすると雲の輪郭がよりはっきりしました。