大分県宇佐市の町からちょっと外れた場所にある四日市横穴群。崖に穴が掘られ、ここに人が埋葬されていたという遺跡です。「大分県の歴史 (県史)」と案内版の説明文を読んでみると、弥生時代、古墳時代の人々の生活がぼんやりとながらみえてくるようで、おもしろいですね。
弥生時代、日本で稲作がはじまり、食料を採集する文化から生産する文化が生まれました。この文化は九州にも広まり、同時に集落もできるようになりました。
当時は、なかなか集落が長くひとつの場所に定着することは難しかったようです。そんななかでも、だんだん「ムラ」や「里」の意識が定着するようになりました。
その「ムラ」や「里」のひとつが大分県宇佐市四日市にある「台ノ原(だいのはる)」です。ここには遺跡が出土していて、この地域の拠点となる大きな集落ができていたようです。その証拠となるのが四日市横穴群です。
四日市横穴群は、古墳時代と呼ばれる7世紀ごろに造られた集団墓(しゅうだんぼ)です。こちらは、その一部。
台ノ原台地に、合計160基あまりあるお墓を総称して四日市横穴群と呼んでいて、その一部がこの一鬼手地区にある横穴墓です。横穴墓とは、丘の崖面などに穴を掘ってつくられたお墓のことです。
入り口はこんな感じで、標識が立っています。
宇佐には川部(かわべ)・高森古墳群や葛原(くずはら)古墳などの立派な前方後円墳・円墳が他の場所にありますが、↓これらのような横穴墓は、後円墳の被葬者よりも下位の階層の人たちの古墳とみられています。
大分県では5世紀後半から各地でつくられはじめ、6世紀後半になってから急速に広がりはじめたようです。円墳以上に県のすみずみにまで広がっているようです。
たしかに、豊後高田市にも横穴群がありますね。
脇道から横穴群の上にまわると…
↓こちらには現代の墓地が…
墓地からみる宇佐平野。なかなかいい眺めです。
学生時代の思い出もあり、歴史はちょっととっつきにくいイメージなのですが、大人になって勉強しなおしてみると、少しおもしろくなってきます。特に地元の歴史を知ると「あっ、ここはよく知ってる場所だ」とか発見があって、なんの変哲もない風景も違ってみえてきますね。