福岡県を、筑豊地区から北方向に流れる遠賀川(おんががわ)。この遠賀川流域にはむかしの遺跡がいくつか発見されています。
そのうちのひとつ、立屋敷遺跡。立屋敷遺跡からは弥生時代の土器とか包丁とかが発掘されてます。この遺跡は、遠賀郡水巻町付近にあります。めじるしは↓下の写真にある、大きな二本のイチョウの樹。
立屋敷遺跡の場所:福岡県遠賀郡水巻町立屋敷
現在地から立屋敷遺跡:Google マップ
立屋敷というところに遺跡が発見されたとは聞いていたけど、水巻昔ばなし(柴田貞志 著)を読んでいると、この遺跡についてより詳しい説明が載っていたので、おもしろく読ませてもらいました。
この本によると、二本のイチョウの樹がある場所は、砂岩層でできているそうで、縄文時代には小島になっていたことがわかるという。
今の姿になるまでの経過はこんな感じだそうです↓
遠賀川はむかし、今よりももっと川幅が広く、玄界灘の海水が入り込んでいたそうです。これを入り海というそう。この入り海に、ちょっと小高い場所があって、小島になっていました。ここが今でいうと、二本のイチョウがある場所。
そして弥生時代。遠賀川河口の形が変わり、縄文時代よりも河口の幅が狭くなると、海水は入りこまなくなってきたそうです。同時に、遠賀川上流から流れてくる土が、砂岩を覆っていきました。ただ、ちょっと小高い場所までは覆い隠せなくて、今でいう二本のイチョウのある場所は、そのまま砂岩層のままとなりました。
弥生時代には、砂岩層の上にたまった土の層で、稲作が行なわれるようになったそうです。立屋敷付近で、そんな弥生時代の生活の跡が出土しました。
その遺跡は、残念ながら今では遠賀川の水の底。
でも出土した道具から、昔のことが想像できます。貝塚とか鹿の骨などもみつかったので、稲作が行なわれると同時に、川で魚介類を採り、近くの山では猟も行われていたんでしょうね。
おもしろいですね。まあ、なんともない景色ですが、郷土史料を読むと新しい発見があります。史料を読んで、読んだ場所に実際行ってみることは楽しくて、なにげない生活に潤いをあたえてくれます。