日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

北九州市内に、どうして国境石? 国境石を探してみた

北九州市に「国境石(こっきょうせき)」と呼ばれる石塔があるという情報を得て、この国境石の実物を見てみたくて、探しに行ってみました。こちら↓が、元となった情報(西日本新聞 2017年03月10日

 

今では、同じ北九州市という地区に、どうして国境を示す石があるのか?今回、見つけることができた国境石は三つ。

 

1.金比羅池の国境石(北九州市小倉北区

2.三条の国境石(北九州市八幡東区

3.高見三丁目の国境石北九州市八幡東区

 

金比羅池の国境石

 

国境石って、どの国と、どの国を分けてた?

西日本新聞の記事によると、「街の真ん中に昔の国境が走っているのは、北九州市が5市合併で誕生したため。全国的にも珍しいと思いますよ」とある。

 

昔は、どんなふうに北九州市は分かれていたのか?その史料がネット上にアップされていないか、調べてみました。

 

北九州市 5市合併」というキーワードで調べてみると、目ぼしい記事が見つかりました。北九州の旧五市

 

その記事によると、①門司、②小倉、③戸畑、④八幡、⑤若松の旧5市が、合併してできた世界的にも珍しい都市が、北九州市なんだそうです。

 

合併する流れとなったのは、戦後になってからのようです。文章だけでは、なかなかややこしいので、合併の流れを図にまとめてみました。

 

昔、北九州市は、大きく豊前国筑前国のふたつに分かれていたんですね。このふたつの国の境目は、今でいう戸畑区小倉北区の間を通る境川を通って、八幡東区に入っていってたといいます。だいたいの国境が、西日本新聞の記事に図示されていました。

国境石は、福岡藩小倉藩とが、国境にたくさん作ってきたのですが、いま残っているのは、13基だけ福岡藩小倉藩との国境は昔、多くの争いが起きていたそう。

 

そのエピソードが、新聞記事にも記されています。

 

「国境石が多く残っている場所は境界争いが激しかったところのようです」。豊前の旧小倉市で育った金丸さんも、境川を挟んだ筑前の旧戸畑市の子どもと石を投げ合ってけんかをしていたという。「大人同士が仲が悪かったので、子どももいがみ合っていた。戸畑側に足を踏み入れるのも怖かった」と振り返る。西日本新聞 2017年03月10日

 

国境石の場所

 

1.金比羅池の国境石(北九州市小倉北区) 

 この国境石は、金比羅池(こんぴらいけ)の中に、1817年、福岡藩によって立てられました。

 

 

地図:Google Maps

 

何か、石に刻まれてますが、案内の看板によると…

 

「従是西筑前国」…これよりにしちくぜんのくに

遠賀郡中原村抱」…おんがぐんながばるむらかかえ

「文化十四年丁丑三月 再建之」…ぶんかじゅうよねんひとのうしさんがつ これをさいけんす

 

…と刻まれてるそう。

 

 2.三条の国境石(北九州市八幡東区

三条の国境石は、閑静な住宅街にありました。この国境石は、福岡藩が立てたもので、県内では最大級。

 

金比羅池のものと同じように「従是西筑前国」…これよりにしちくぜんのくに…と刻まれてます。

 

地図:Google Maps

 

 

3.高見三丁目の国境石(北九州市八幡東区

高見三丁目の国境石もまた、前二基と同様に、福岡藩が立てており、「従是西筑前国」…これよりにしちくぜんのくに…と刻まれる。

 

けっこうな斜面の、これまた、閑静な住宅街にありました。

 

地図:Google Maps

 

 

今、残っている北九州市の国境石は13基。あと10基はどこにあるんだろう?見つけるのは大変そうだけど、残りのものを見つけるのも、また楽しそう。