日々の”楽しい”をみつけるブログ

史跡探訪と写真好きのku-(くー)といいます。日々の生活に楽しみをみつけて、紡いでいこうとするブログです。

庚申塔で地域性を読み解く

2017年7月30日に、福岡県糸島市に足を運びました。おいしいものはないか、景色のいい場所はないか…と、観光がメインだったのですが、やっぱり各地にちらばる庚申塔(こうしんとう)も探さずにはいられません。

 

庚申塔を探していると、ふだんなら行かないだろうという場所にまで、行ってしまうのが庚申塔探しの楽しい部分でもあります。「志摩町庚申塔」(志摩町教育委員会)を拝読して、今回は”野北 間少路”という地区に行ってみました。

場所:福岡県糸島市志摩野北

地図:Google Maps

上の写真右側にちらっと見えるのが納骨堂。この納骨堂敷地内に、庚申塔が二基祀られていました。「志摩町庚申塔」(志摩町教育委員会)によると…

 

以前道下にあったのを、納骨堂とともに移転した

 

…とあります。たしかに、納骨堂は駐車場が広く整備され、ずっと昔からの納骨堂というわけではなく、新しく後にできた印象を受けます。

上の写真だと、右側の曲がった樹の根元にふたつの庚申塔は祀られています。庚申塔の写真は↓こちら。

写真だと、何が刻まれているのか、ちょっとわかりにくい。でもなんと親切なことに、「志摩町庚申塔」には拓本(たくほん)が掲載されています。

↑拓本左側には、「文化十五年戌寅 庚申塔 仲春吉旦」と刻まれます。右側には、「宝暦八寅 〇庚申塔 二月吉祥日」と刻まれます。

 

それぞれの製造年が文化十五年(1818年)、宝暦八年(1758年)と60年のひらきがあります。それぞれ別の場所にあったものを、一か所にまとめたのでしょうか?それとも、1758年に造られたものに新しく追加する形で1818年に、また造ったのでしょうか?詳しくはわかりません。

 

それにしても、この”野北 間少路”という地区には、他にも5つもの庚申塔が祀られています。糸島市志摩町全体でとらえると、昭和の終わりごろまで庚申塔が造られていたそうで、古いしきたり…というかつながりが大切に守られている地域ということがわかります。

 

現在でも、井田原地区や桜井地区など農村的組織の強い地域において庚申講が存在し、やや形を変えてではあるが庚申待(こうしんまち)がおこなわれている。 志摩町庚申塔」(志摩町教育委員会

 

 庚申塔の残存数や、庚申待がいまも続けられているかなどから、そこの地域性がなんとなくわかってくるとは。糸島市庚申塔さがしで新しい発見がありました。