日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、庚申塔を中心に史跡を巡っています。主な行動範囲は九州北部。Nikon D750を使って史跡の魅力を写真でおさめられたら…と試行錯誤しています。

唐津街道 宿場町の庚申塔 畦町宿(あぜまちしゅく)

畦町宿(あぜまちしゅく)は、福岡県から佐賀県長崎県をはしっている唐津街道の宿場町のひとつです。↓下の図だと黄色の線が唐津街道を表しています。ごらんのように唐津街道は小倉を出発して、若松、芦屋、赤間を経て畦町へと続いています。

先日、この畦町宿(あぜまちしゅく)へ行ってみました。小さな宿場町の跡でしたが、こういう大きな時代の変化を受けていない場所では、庚申塔が残っていることと期待しての訪問でした。

 

↓地形図でみると、畦町はこのような感じです。旧街道に沿って建物が密に建っています。以前、飯塚の内野宿にも行ってみましたが、同じような雰囲気がただよいます。

ありがたいことに、畦町を歩いていると、ところどころに↓こういう町図が掛けられていて、どこにどんな史跡が残っているのかが確認できました。結論からいうと、畦町宿では3つの庚申塔が祀られていました。この看板では、ふたつの庚申塔の位置が確認できました。

ひとつは↓東構口跡のちかくにあるそうです。

 

実際の場所がこちら↓構口(かまえぐち)は、畦町宿では残っていません。それらしき場所を探してみると、山の斜面にコンクリートで固められた階段があります。その階段を上った先の竹やぶのなかに、ぽつんと庚申塔が祀られていました。

場所:福岡県福津市畦町 東構口付近

地図:Google マップ

 

形体では柱状(角柱)の庚申塔に分類されるようです。

庚申塔には「奉庚申」と刻まれています。↓その下側は表面がはがれて崩れていました。

両側面には、何も刻まれていないようです。

 

 

 

形体はちがいます(自然石)が、同じように「奉庚申」と刻まれる庚申塔が西構口ふきんに祀られていました。観地山地蔵堂がある敷地内に祀られています。

場所:福岡県福津市畦町宿 西構口跡付近

地図:Google マップ

↑こちらの庚申塔も、成立年月日などの銘は確認できませんでした。

 

最後の3番目の庚申塔は、こちらの地図(福岡県福津市庚申塔マップ)でどこにあるのか情報収集することができました。畦町宿の西よりにある護念寺というお寺の境内に、3つ目の庚申塔は祀られていました。

場所:福岡県福津市畦町 護念寺境内

地図:Google マップ

↓こちらの庚申塔は、東構口ふきんの庚申塔と同様の、柱状(角柱)です。そして正面に「庚申尊天」と刻まれます。

この庚申塔は、はっきりわかりやすく、「明和四年」…つまり1767年の銘が刻まれます。この年代は、比較的まだ庚申塔が多くつくられた時代にあてはまるようです。

 街道跡などを歩いていて、思いがけず石仏や庚申塔に出会うと、なぜか気持ちが満たされるような感じになります。これがどうしてなのかよくわからなかったのですが、五来重. 石の宗教 (講談社学術文庫) で書かれているように、昔その石仏をつくった人々の心にすこしだけでも共感できるからなのかもしれません。

 

ヨーロッパのとくにカトリック教国では、いたるところに石の十字架とマリア像が立っている。路傍、十字路、三叉路、村の入口と出口、教会の庭と墓地、村人のあつまる広場などである。これらの石製十字架やマリア像が、人々の心を豊かにすることはいうまでもないが、ヨーロッパの田園風景や道路の景貌を魅力あるものにしている。これとおなじことは日本の石地蔵や道祖神石塔、庚申塔馬頭観音如意輪観音石像などにも言える。

 

路傍の石仏、いわゆる「野の仏」は美のために造立されたものではないし、拝む人も見る人も美の鑑賞をしているのではない。それは庶民の心の表現、とくに過ぎた時代の庶民の嘆きの表現として、これに共感するのが「石の宗教」というものである。五来重. 石の宗教 (講談社学術文庫)