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仲哀隧道(ちゅうあいずいどう)の資材を運ぶために造られた福岡県の石橋 呉川眼鏡橋 田川郡香春町

福岡県田川郡に仲哀隧道(ちゅうあいずいどう)というトンネルがあります。ここは今では通行禁止となっていますが、明治23年に開通してからはたくさんの人々が、ここを抜けて京都郡(みやこぐん)方面へ往来していたそうです。

 

この仲哀隧道を開通させるための工事資材を運ぶための橋が↓この呉川眼鏡橋です。明治19年に造られた石橋です。福岡県で石橋を見かけることは珍しいとおもっていたのですが、石橋の近くにある案内看板によると、福岡県内には54基ほど石橋があるんだそうです。

場所:福岡県田川郡香春町鏡山

地図:Google マップ

 

地形図で、仲哀隧道と呉川眼鏡橋の位置関係を見てみると↓このようになります。呉川眼鏡橋から、くねくねとした道が仲哀隧道へと続いていることがわかります。この、くねくねした道から仲哀隧道付近までを七曲峠と呼び、別名を仲哀峠(ちゅうあいとうげ)と呼びます。

どうして仲哀峠と呼ぶのか?それは、仲哀天皇熊襲(くまそ)という種族を攻めるとき、この峠を通ったという伝説があるからだそうです。【参考「香春町郷土史会編 香春町歴史探訪 知的な散歩のために」(香春町教育委員会)】

 

大分県宇佐市院内町にも、たくさんの石橋が現存していますが、その多くが現役で働いています。こちらの呉川眼鏡橋も同じように現役です。石橋はほんとに頑丈に作られているんですね。

 

↑案内看板に掲載されていた橋の図面です。そして↓下にご紹介するのが、呉川眼鏡橋の詳細な説明です。そのまま転記します。

 

築造年代:明治19年

特徴:橋長8.6m、幅員4.2mの石造単アーチ橋

 

呉とはこの地をさす言葉で古くは呉姫の伝説からのその名が付きました。ここを流れる川を呉川と言い金辺川さらには彦山川と合流し遠賀川に注ぎます。

 

呉川眼鏡橋は、仲哀隧道の開通計画に伴い、掘削部材運搬等のために築かれました。広島の石工によって造られたと伝えられ、石材には甘木市の秋月眼鏡橋と同じく花崗岩(御影石)が使われた珍しい道路橋です。

 

アーチリブを構成するアーチ石は、がっちりと噛み合った切り石が丹念に組まれて美しい弧を描き、壁側、橋台にも均整がとれ、整然とした端正な姿の中にも力強い気品を備えています。

 

明治期以前に造られた当時のままの石橋は、遠賀川水系では唯一であり、(筑穂町延壽橋に関しては、移築されている。)美しい眼鏡橋の姿を損なうことなく今日に至り、仲哀隧道とともに呉のシンボルとして地元で親しまれています。

 

福岡県内に現存する石橋の数は、山間部などの人目に付きにくい箇所を覗いて、54基あります。このうち、筑後地方を中心とした県南部に50基が集中しています。県北では、遠賀川水系では2つと紫川水系で春吉眼鏡橋が現存するのみです。

 

~北部九州における石橋に関する研究、九州共立大学研究報告第9号、1995~

 

香春町香春町教育委員会