日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、庚申塔を中心に史跡を巡っています。主な行動範囲は九州北部。Nikon D750を使って史跡の魅力を写真でおさめられたら…と試行錯誤しています。

悲惨な事故から造られた”春吉(はるよし)の眼鏡橋” 小倉南区春吉

福岡県でみつけた石橋はこれで二基目です。小倉南区の春吉(はるよし)という地区にある二連アーチの石橋です。

 

場所:福岡県北九州市小倉南区春吉

地図:Google マップ

今から約100年前、このような立派な橋はなく、板が川にわたされただけの簡素なものだったそうです。1917年、その簡素な木製の橋から女の子が川に転落して亡くなりました。

その悲惨な事故を受けて村人たちが協力して資金を出し合い、この石橋が造られたそうです。 100年も前に造られたのに、いまでもしっかり現役。大分県の院内町の石橋群もそうですが、ほんとに石橋って頑丈ですね。

 

以下は石橋近くにある看板を抜粋しました。

この橋は、大正八年(1919年)に完成した長さ20.5m、幅3.6mの石造二連アーチ橋である。石材には、玢岩(ひんがん)、輝緑凝灰岩(きりょくぎょうかいがん)などの紫川の川石が使用されている。

 

この橋ができるまでは、岩の上に板切れを渡しただけの簡単な板橋を渡していたが、大正六年、子守の女の子が転落死したことから 地元に恒久的な橋の建設気運が高まった。

 

建設費は悲劇を繰り返さないようにと願う春吉の人々が寄付金を出し合ったが、第一次世界大戦後のインフレによる物価高騰のため苦労したという。

 

橋のたもとの石碑には、春吉58人の寄付者や寄付金額(1574円)石工などのが刻まれている。石工は春吉の隣接する道原の中山熊次郎と佐島榮治である。

 

春吉の眼鏡橋はしない唯一の石造り二連アーチ橋とし、貴重であり、かつての農村における庶民生活の一端を知ることのできる文化遺産である。

 

 文中の「橋のたもとの石碑には、春吉58人の寄付者や寄付金額(1574円)石工などのが刻まれている」という部分。この石碑は↓この写真のものと思われます。読み取りにくいですが、石塔にはかすかに、たくさんの文字が刻まれていることが確認できます。