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どうして庚申塔には猿が刻まれる? 直方市にある庚申社に行ってみた

福岡県直方市(のおがたし)に「庚申社」という名前の神社があったので行ってみることにしました。ネットの情報によると、たくさんの猿の像が祀られているということで、庚申信仰と関係があることが予想されます。庚申塔はあるのでしょうか。

場所:福岡県直方市山部601

地図:Google マップ

庚申社の場所は上の航空写真のように、直方駅から歩いて15分ほど。直方市で有名な神社である多賀神社からは歩いて3分ほどの距離です。初詣の時期になると、この多賀神社にはたくさんの参拝者が訪れます。多賀神社に参った一部のかたは、どうもこちらの庚申社にも参拝に来られているようでした。

だから正月に、私がこの庚申社を訪れたとき、たくさん人がいたので庚申社を参拝するのは見送りました。今回、日を改めて来たわけです。

 

境内はこじんまりとしています。狛犬の前には猿の狛犬が祀られていました。珍しいですね。初めて見ました。

 

拝殿の真ん前には青面金剛と思われる石造が、線香を立てる香炉を背負っていました。猿と青面金剛に赤い布が巻かれていて、この神社にとって特別な存在であることが想像できます。

参拝をしたあと拝殿の裏側に目をやると、噂にきいていた猿の像をたくさん見つけることができました。早速、行ってみることにしました。

 

たくさんの猿の像です。でもどうして庚申信仰と猿が結びついたのでしょうか。気になって調べてみました。庚申塔の研究 (清水長輝著)【大日洞発行】に、ちょうど「庚申塔と猿 猿の由来」という項目があったので読んでみました。 

庚申塔に初めて猿が刻まれるようになったのが、江戸時代初期だそうです(P143)。以前、庚申塔の変遷についてまとめた表を確認してみても、「慶長(けいちょう)」という元号のときに、猿や鶏が出現したということがわかります。つまり1600年前後からです。

しかし、猿を神の使いとしてあがめる考え方は、1600年よりもずっと昔からあったんだそうで、元となった信仰が比叡山で生まれた山王信仰なんだそうです。そのことが書かれた部分を抜粋します。

 

最澄比叡山に昔からの神としてあった大山咋命をまつって、山王さんを建立したのであるが、いわゆる本地垂迹のもとになったこの神こそ、古来の山の神または古来の山王信仰ともいうべき神の象徴であったと思われる。

 

それで猿と山王との結びつきは、天台宗の山王よりもっと古くからあったことが想像されるわけである。

 

つまり比叡山に限らず古来から山の神というような信仰があって、その山に住む最も人間に近い動物としての猿を、その神使とする考え方があったのではあるまいか(P132)

 

文章のなかに出てきた山王(さんのう)とはなんなのか?調べてみると、比叡山におられる神様なんだそうで、滋賀県大津市坂本にある日吉神社に祀られています。この日吉神社についてウィキペディアで調べてみても、たしかに…

日吉大社では猿を神使とするが、猿との関連性についてはよく分かっていない。おそらくは原始信仰の名残りではないかと推測されている。山王信仰 - Wikipedia

…とあります。

猿が神様の使いであることがわかりました。その神様の使いが主尊の青面金剛の脇に仕える形で、徐々に庚申塔に刻まれるようになったのでしょう。青面金剛の脇に猿が刻まれたのが最初に確認されたのが寛文三年(1663年)の庚申塔です。

さらにその猿が、脇に仕えるものから、この庚申社のように、主尊として祀られるようになったと考えられます。

ちなみに、従者から主尊となる過程において、「見ざる言わざる聞かざる」でよく知られる「三猿」が出現しました。この三猿が出現することで主尊としての立場がはっきりするようになったのだそう。庚申塔の研究 (P143)

直方市にある、この庚申社では猿田彦大神青面金剛が、神仏習合で同時に祀られています。さらに小さな境内には↓このように稲荷神社も祀られています。

庚申社でのお祭りは、例大祭(12月5日)、 夏越祭( 8月5日)とともに毎月5日に行われる月次祭というものがあるとのこと。直方市に住んでいるかたから、直方の商店街で毎月、五日市があることを聞いていましたが、これは庚申社に関わるものだったのですね。知らなかった。

庚申社の境内を調べてみましたが、庚申塔は祀られていませんでした。

各土地の郷土史を調べていると、現在の意外な部分とつながることがあっておもしろいですね。